てふてふは、とぶか、とばないか

  • 小説ゼミ1

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てふてふは、とぶか、とばないか

 きょう、B4-12Fが死んでいた。昨日までは、ところどころ半透明になった羽をかすかに動かしていた。今はそれもぱたっと閉まり、花びらのように小さく倒れている。私は彼女をパラフィン紙に挟み、白衣のポケットに入れた。ポケットからじんわりと暖かさが伝わってくるような気がする。

 チョウのような変温動物は、当たり前といえば当たり前だが外の気温で体温が変わる。あたたかい日には体にエネルギーがたまったように元気によく動き、寒い日はじっとしている。いい天気の日には体が暑く興奮するのだろうか。想像はするが、ひとまず私の研究領域ではないので、よくわからない。春から夏にかけて、チョウは林の端っこ、森の端っこなど、その寒暖差を楽しむように、日向と日陰の境目を行き交う。道に迷っても暗がりからチョウが見えたら、そこがきっと明るい世界との境目だ。

 私は、B4-12Fの死骸をポケットに入れたまま、外に出た。生物研究室の入る建物は、人体に有害な薬品を扱うこともあるからなのか、はたまた臭うこともあるからなのか、どの大学でもたいてい、敷地の奥まった所にある。夏前ともなれば、周囲は伸びきった木々や雑草で覆われ、鬱蒼としている。こんな茂みのなかにあっても、萩は不思議と目に飛び込んでくる。チョウの幼虫が食べる植物は限られていて、うちの子たちは、萩の葉を食べる。チョウも萩の葉に卵を産むため、探しているうちに遠くからでもわかるようになった。この時期の萩の葉はやわらかく、幼虫も好んで食べてくれる。こうして歩いていると、ついつい摘みたくなるが、きょうは萩を横目に、図書館近くまで歩く。道が少し明るくなり、周りも「ジャングル」から「人里」くらいになる。ここまで来れば、いつも少し日が当たる境目がある。

 私は歩いて来た道から少し外れ、雑草がない場所を探し、家の鍵を使って小さな穴を掘った。深さはいらない。二センチも掘れば十分だ。ポケットからB4-12Fを取り出す。包んでいたパラフィン紙から出すと、彼女は恐ろしく軽い。穴に入れようとすると、風が吹き、ぱたっと裏返った。感傷的な自分を笑われたような気分になる。B4-12Fに土をかけ、手を合わせた。

 私は研究室で約百匹のチョウを育て、季節によって変わる羽の模様とホルモンとの関係性を研究している。卵から孵ったばかりの幼虫は透き通るように美しく、時間が経つごとに色が濃くなっていく様はお菓子作りを眺めているような喜びがある。私はそのかわいい幼虫にホルモンを注射し、羽化した後の模様を確認するのが主な作業だ。一応、羽化した時点で実験データはとれたとなる。だが、日本のどこにでも生息しているチョウではない。ある程度の結果が出るまで個体数を維持するため、近親相姦を避けながら人工交配を繰り返すことも大切な仕事だ。

 人工交配は、研究者によって、いろいろなやり方があるのだと思うが、私の場合、左手にメスの羽を、右手にオスの羽を持って、メスのおしりにオスのおしりを当てる。メスが受け入れれば、メスのおしりにある小さな歯のようなものがガチッとオスのおしりをつかみ、交配が進む。オスが強引に進める可能性はなく、主導権はメスだけにある。つまり、交配に寛容なメスがいない限り、人工交配は進まない。

 メスの受け入れには不思議と傾向があり、羽化したばかりのメスはあまり交配を進めたがらない。一方で、B4-12Fのように、何度も交配したメスは寛容だ。私が交配の際に羽をつかんだことで鱗粉もはがれ、羽もボロボロに欠けて飛ぶことさえ難しくなっているにもかかわらず、交配を受け入れてくれる。チョウの一生は短く、あたたかい時期に産まれた成虫は長くて一~二カ月程度だが、B4-12Fはこの間に三度も卵を産んだ。チョウにも記憶はあるらしい。交配や産卵に喜びのようなものを感じていたのだろうか。いやむしろその段階のどこかで分泌されるホルモンに中毒性があるということなのかもしれない。

 研究室から帰ろうと歩き出しても、目の奥に黄色の小さな姿が浮かぶ。自分のなかのイメージをかき消すように頭を振ったが、パソコンを見過ぎた目の疲れと相まって、疲労感がもやっと頭を包み、くらくらした。このまま帰るのは、なんだか嫌だ。

 仕方がないので、きょうはヒロミヤにいくことにする。時々寄る大学近くのビールバーだ。きょうはまだ早い時間なので、それほど混んではいない。これ以上バイトは増やしたくないので、飲み過ぎないことを誓い、席につく。隣には店にほぼ毎日いる、本名は知らない「けんちゃん」、その奥にヨシエさんが座っていた。けんちゃんはファッション関連の仕事なのだろう。いつも凝った服装をしている。きょうは七十年代風なのだろうか、ピタッとした柄物のシャツに裾が広がったパンツをはき、お店の「お兄ちゃん」(これもあだ名)を相手に、欲しい靴の話や、クセのあるお客さんの愚痴をこぼしていた。少し濁った黄金色のビールが目の前に置かれ、一口飲むと、深いため息が出た。できるだけ音は出さないようにしたのだが、どうしたの、とお兄ちゃんに聞かれた。どうしたんだろう。自分でもよくわからない。ひとまずB4-12Fについて話した。

「それ、人間に重ねないでよね」

奥で聞いていたヨシエさんが言った。

「女の喜びとか、母の喜びとか、そういうのうっとうしいから」

 ヨシエさんはたぶん五十歳ぐらい。店には仕事帰りに来るらしく、いつも上下セットのスーツを着ている。一体どんな恋愛を重ねてきたのか、女性から見ても色っぽさのある人だ。私が恐縮していると、気にしていない様子で、またヨシエさんが「それはなんか仕事スイッチが入ったんじゃない。この作業、経験あります! やります! みたいなさ。やりがいというか、自分ができることが嬉しくて、やろうとする意識なんじゃない」

 人間に重ねているのはどっちだ、とつい思ってしまうが、想像するのは面白い。それなら、B4-12Fほどの功労者はいない。やりきったと感じているかもしれない。

「チョウの場合は、若さとか、ルックスとかそういう基準で相手を見定めることはないわけ?」

とヨシエさん。自然界では、飛ぶ姿や羽なんかでオスがメスにアピールすることはあるらしい。人工交配の時も、メスがオスの羽を確認している可能性がないわけではない。だが、昆虫は哺乳類に比べると数多くの卵を一度に産めるし、オスと一緒に育児をする必要もない。相手の遺伝子を見極める労力よりは、何度か交配を繰り返して、子孫が生き残る可能性を高める方が効率的なのではないかということを説明した。

 ヨシエさんは真剣な表情で私の話を聞き、「そうか。じゃあ違うかな」といって続けた。

「いやさ。人間女性として年を重ねて思うのは、今が一番楽っていうこと。二、三十代の頃は恋愛をするにも、自分の立ち位置とか、相手の経済力とか社会的地位とか、純粋とはいえない考慮すべきものが多すぎたのよね。たぶん中高生時代もどこかで学校内や社会でのヒエラルキーを引きずってたし。でも今は、何からも解放されて、純粋に恋愛そのものを楽しめる気がするのよね。そのチョウも同じ感覚だったら面白いなと思って」

「種別を超えた共感!」とけんちゃんが言い、お兄ちゃんが笑った。

 ヨシエさんはかすかに笑顔を作りながら、ゆっくりビールを味わっていた。考えごとをしているようだった。しばらくして、独り言のように、

「家庭とか社会がそもそもないっていうのも、いいのかもね。人間だと小さい頃から植え付けられた規定された生き方みたいなものがあって、その考え方から自由になるのに、まず時間と労力がいるじゃない」という。

「何それ。どういうこと?」

 けんちゃんが聞いたが、ヨシエさんはこちらを向いて含みのある笑顔を見せるだけで、それ以上、何も言わなかった。

「でも、研究室のチョウはこのぐらいの小さなケースで一生を終えるんですよ」

 私は直径十五センチぐらいのチョウのケースを手で再現してみせた。

「人間だって大して変わらないじゃない」。ヨシエさんがいった。

         ▷◁

 最近は地下鉄ばかり乗っている私にとって、久しぶりの地上路線は新鮮に映った。景色の中を走り抜ける感覚や眩しいほどの陽の光。実家に向かう電車に乗って、学生時代はこんな情景を当たり前に目にしていたのかと驚きながら、その感覚の変化をどこか切なく感じた。

 走り去る風景を眺めていると、スマホが鳴った。待ち受け画面を見るとアメリカにいるミタからのメッセージだった。たぶん現地での住まいや生活費について追加の情報を送ってくれたのだろう。

 彼女は自分が勤めるニューヨークの大学で一緒に働かないかと誘ってくれていた。ニューヨークで生活するということだけを考えれば、ミュージカル好きとしては心躍る誘いだった。だが、アメリカの大学での研究生活は、ただ研究に向き合えばいいというものではないらしい。成果を売り込むコミュニケーション能力や、研究の効率性を重視し、ライバルをだし抜く狡猾さも必要だと聞く。競争に勝てないならば、容赦無くクビを切られてしまう。そんな環境で私は生き抜けるだろうか。そもそも私は誰かに勝ちたいと思っているのだろうか。期待より不安が頭をもたげる。ポスドクとして停滞しているいまの自分に苛立ちながら、走り出すことには迷いがあった。

 実家に着いて食卓のいつもの席に座ると、息つく間もなく、父と母が交互に現れ、それぞれの最新ニュースを伝えてきた。兄から送られてきた家族写真を母が見せていたと思ったら、今度は父が二人で行った小旅行の報告。間断なく母がスマホを片手に使い方の疑問をぶつけ、最後は父が新聞の切り抜きを渡してきた。父は女性科学者の記事があると親近感が湧くらしい。私と会っていない時間の宿題のように、父は切り抜きをストックし、私にくれる。記事のほとんどは、私から見ると超エリートたちの眩しい栄光の物語だ。父からは、私も彼女達と同列に見えるのだろうか。解像度の低さが、この時ばかりはありがたい。

 歓待の時間が終わると、母がおもむろに夕食の準備を始めた。私は内心ほっとする。父の退職後、食事の準備が交代制になった我が家では、たまに帰ったタイミングで、父の「試作」に出くわすことがあった。美味しい時もあるが、甘すぎたり、焦げが酷かったりと初心者ゆえの失敗も多い。母からは父のやる気を削ぐなと再三指示を受けている。何も考えずに帰った実家で、私は自然でポジティブな演技力を突然試されるのだ。今日は違うと知り、安心して被膜程度の女優の仮面を脱ぎ、缶ビールを開けた。鞄から印刷してきた論文を出し、読むことにした。

 しばらくすると、台所から父の怒鳴り声が聞こえてきた。

「そうやって君はすぐ無駄遣いをする! 白菜は今高いんだから。誰のお金だと思ってるんだよ」

 どうやら、最近少し高くなった白菜を母が多めに使ったということらしい。父は怒った勢いで強く扉を閉め、扉の木枠にはまったガラスが固い神経質な音を立てた。父は同じ調子で階段をガンガンと上がっていき、今度は二階からドアが強く閉まる音が聞こえた。台所からは何も音がしなかった。私は静かに台所に近づき、食器棚から顔だけ覗かせた。母は流しに向かって呆然と立っていた。

「大丈夫?」

……うん」

「白菜にも困る生活をしているなら、仕送りしようか」

 母はしばらくうつむいて黙っていたが、顔を上げるとこちらを向いて「そんなのいらない。別に困ってないのに……ほんと、いやになっちゃう」といった。ため息をつきながらも、母はそれから淡々と料理を続けた。

 母方の祖父母は二人とも二年前に亡くなり、まあまあの資産家だったので遺産はあるはずだった。少なくとも白菜の使い方でもめる経済状況ではない。母も働いていた時期もあったので、父の貯金だけを切り崩しているわけではないはずだ。私はしばらく忘れていた父の理不尽さと、そこから逃げたいとずっと願っていた昔の自分を思い出していた。高校生の時は、理不尽な怒りが母に向けられるたび、母に離婚をすすめた。だが母はいつも「こんなことで離婚してたら何もできないわよ」といって取り合わなかった。本当にそうだろうか。ただ、耐えることを美徳と信じ込んでいるだけのように思えてならなかった。

 一般的に見れば、きっと父と母は仲がいい方なのだとは思う。もともと高校の同級生で、大学の時に電車で再会し、わざわざ同じ銀行に就職してすぐに結婚した。明るく太陽のように朗らかな母に比べ、父はひょうきんではあるが所々で細かく、感情の起伏が激しい。両親の高校時代はまだ学生運動などもあった時代らしく、新聞部の部長だった父は、性格の激しさも相まって、活動家の卵にでも見えたのだろう。母と話していると、父のイメージはまだその頃のものを引きずっているようだった。心に何か燃えるものを抱えているからなのか、銀行でたまったストレスからか、父はたびたび理不尽に家で怒りをぶちまけた。ご飯茶碗がいつもと違う、子供が生意気な口をきいたなど、きっかけはいつも勝手なものだった。退職後には落ち着くかと思っていたが、むしろ今度は自尊心を満たす社会的地位がないことに苛立ち、家の中でも外でも単なるクレーマーと化しているようだった。

 深いため息をつきながら、ポケットに入れてあったレシートを捨てようとゴミ箱を開けると、そこにはコンビニでよく売っている二個入りケーキの容器が捨てられていた。甘党の父が食べて捨てたのだろう。白菜の無駄使いはダメで、ケーキはいいのか。他人に厳しく、自分に甘い。いつまでもかっこわるい父に腹が立ち、私はゴミ箱の蓋を壊れるくらいに強くしめた。母が怪訝な顔をしてこちらを見つめていた。

        ▷◁

 私のチョウの実験は、そろそろ佳境を迎えようとしていた。本来、チョウの羽の模様は、気温や日照時間で変化するが、全く同じ条件で育て、ホルモン注射で模様が変化することを示せれば、今回の実験としては成功だ。きょう新しく羽化した四匹のチョウのうち、二匹は曖昧ではあるが、ホルモン注射で変化したと言えなくもない模様の出方だった。それぞれのケースにボンベから二酸化炭素を封入し二匹を気絶させる。鱗粉をずらさないように慎重にピンセットで動かし、スキャナーで二匹の羽を記録した。論文の画像資料として使うものだ。二匹は気絶したままの状態でケースに戻した。

担当教授が授業から戻ってきたので、二匹について伝えると、教授は個体数に問題がないようなら、一匹はサンプルでとっておいたらという。系統を確認すると1匹なら大丈夫そうだ。

 私は、まだ眠っている一匹のケースを開けた。チョウは意識を取り戻し始めたようで、足や羽をかすかに動かしていた。ケースが開いていることにも気づいていないのだろう。飛んで逃げようとはせず、静かに立ち上がろうとしていた。私は、手でそっとそのままチョウの羽を軽く掴み、もう一方の手の指でぐっとチョウの腹を潰した。粉っぽさの奥にカシャと乾いた感触が指に残る。私はそのチョウを慎重にパラフィン紙で包むと、そこに油性ペンで日付や模様の程度、系統の情報を書き込み、保存用のケースに入れた。

 幼虫達の餌も変えなければいけない。私は、買ってきたパンを食べながら、もう片方の手でケースを開け、新しい萩の葉を入れては、幼虫たちを指で掴んで葉の上にのせていった。チョウや蛾を研究していると、鱗粉に触れすぎて研究途中にアレルギーになってしまう研究者も多い。予防のためにも、また自分の体温を伝えないためにも、本当はできるだけ触らず、ピンセットなどを使った方がいいのだが、私はだいたい素手で作業をした。小さな幼虫でも、葉から離そうとする時は少し抵抗する。ピンセットを使ってしまうと、力の加減がきかず幼虫を傷つけてしまうこともあった。特に卵から孵ったばかりの幼虫は表面が柔らかく、もろい。ピンセットで餌から外そうとして、そのまま潰してしまうこともままあった。チョウが生んでくれた卵もすべて孵るわけではない。そんなことで無駄にしたくなかった。

 作業が半分ぐらい終わったところでスマホが鳴った。珍しく父からの電話だった。出てみると、母が自宅で倒れ、救急車で運ばれたという。パンを口に押し込み、あと半分の幼虫に向かって手を合わせて謝り、明日には戻ると誓って研究室を飛び出した。

 スマホで調べると、病院へは電車とタクシーを乗り継げば行けそうだった。私は電車に揺られながら、母の人生に思いをはせた。母は幸せなのだろうか。容姿や頭には恵まれ、友達もそれなりにいた。憧れの同級生と結婚し二人の子供を育てた。郊外に一軒家を建て、海外旅行もたくさん行った。これだけ並べると幸せそうではある。だが幸せは要素を集めたポイント制で決まるわけではない。

 母は一人で外食したことも映画を観たことも、もちろん一人旅に行ったこともない。恥ずかしいから、というのがその理由だ。私が小さい頃は、兄が習い事などに行くと、よく一緒に甘味処に連れて行ってくれた。小さい私がいたおかげで行きたかったお店に行けるようになったと母は以前教えてくれた。家族は母にとって檻ではなく、羽ぐらいにはなったのだろうか。

 病院に着くと、父が玄関で待っていた。母は自宅の階段を降りている時にめまいがして倒れたものの、幸い階段の下の方だったため、軽く足を捻挫した程度で大事には至らなかったそうだ。念のため、いくつか検査を受けることになり、数日入院することになったという。

 母は病室のベッドに座りながら、「こっちゃんを呼ぶほどではなかったのに、ごめんね」と申し訳なさそうに言った。三十歳過ぎの私をこっちゃんと呼ぶのは、もう母ぐらいだ。母は、心配いらないから早く研究室に戻ってと、追い返すように手をひらひらさせた。私は、お昼を食べていないという父に休憩がてら食事をすすめ、母のベッド横にあった丸椅子に腰掛けた。

 母は疲れた顔をしていた。私のイメージの中の母は、いつも四十代ぐらいで止まっていたことに今更気づく。こんな顔になったんだなぁとしばらく見つめていると、母は気まずさもあってか体勢を変え、ベッドに横になった。でも眠くはないようで、目を開けたまま、病室の天井を眺めていた。

「怖くなかった?」私が聞くと、母は首を振った。

「よく覚えてない」

「じゃあ走馬灯とかもなし」

「ないない」母が力なく笑う。

「ここに来るまで、お母さんは結局幸せだったのかなぁとか考えちゃったよ」

心配かけてごめんねとまた小さく謝り、母は案外あっさりと

「幸せだったと思うよ。楽しかったし、いまも楽しい。こっちゃんとお兄ちゃんを産めたし」といった。

「産めたってどういう意味? 家の子孫繁栄に貢献したわーみたいなこと?」

 笑うかと思ったが、母は表情を変えず、少し遠くを見つめて考えているようだった。しばらくして口を開くと、

「単純に楽しかったってことかな。子供が二人いて。自分ができなかったことも子供を通して体験できるし、男の子と女の子の二パターンを見られたしね。大きくなったら、また自分とは違った見方を教えてもらえるし」

「家庭にいて、できなったことへの後悔はないの?」

「やりたいことは結構やったよ。こっちゃんの世代から見ると窮屈に見えるかもしれないけど。私の親の世代なんてもっとひどかったもん。姑がいたわけでもないし、パパも家庭が好きな人だったし、私はいろいろできたと思うよ」

そんなものだろうか。しばらくは祖父母の話などを聞いていたが、父が食事から帰ってきたので、話はそれまでとなった。

       ▽△

翌日は早めに研究室に向かった。約束どおり残り半分の幼虫の餌を換え、実験データの整理をし、研究室の仕事をしてもまだ時間があったので、またチョウの数を増やすため人工交配の作業をすることにした。交配するチョウは、B3-2FC5-9Mを選び、まずはそれぞれのケースから大きな網の袋に二匹を移す。大きな網の袋のなかで、チョウは逃げられないが、こちらは手だけを袋に入れ、外から見ながらチョウをつかめる。ここでチョウをやりやすい角度でつかみ、人工交配の作業に移るのがいつもの流れだ。二匹は普段のケースより十倍は広い網の袋の中で、まるで初めてのホテルに喜び興奮する子供のように飛び回っていた。私は、二匹を網の袋に入れたまま、後で二匹が戻るケースを掃除した。餌となる砂糖水の交換をしていると、目の端に黄色い何かが動いている。

 顔を上げると、チョウが二匹、研究室内を飛んでいた。百匹近く飼っていても、自由に飛ぶチョウを間近に見ることはほとんどない。夢のなかにいるような気分で見上げていたが、すぐに自分が置かれた状況に気づいた。どうやら、網の袋に小さな穴があったらしい。慌てて研究室の窓やドアを閉め、教授の部屋から大きな虫取り網を持ってきて、斜めに構え二匹の動きをじっと見守った。 

 二匹はお互いに近づくこともなく、束の間の自由を謳歌するように、研究室の天井近くを旋回していた。だが、少しするとC5-9Mは、私が用意していたケースのところに降りてきて、小さな花の形をした小皿のふちにとまり砂糖水を飲み始めた。そうっと近づき、そのままケースの蓋を閉める。C5-9Mは、捕まったことに気づきもしない様子で、慌てて飛ぶこともなく、そのまま砂糖水を飲み続けた。まずは一匹。

 殺人鬼にでもなったような気分で振り向き、もう一匹のB3-2Fを探すと、普段は外へと開かれている細い窓の上の方にとまっていた。そこからは、研究棟の周りに茂る木々や花がよく見える。何を考えているんだろう。一瞬そんな想像が頭をよぎったが、今はそんな場合ではない。幸い教授の虫取り網は柄も長く、天井まで届く。私はB3-2Fをつぶさないように大きな弧を描いて、窓の上の方に虫取り網をかぶせた。教授の虫取り網は、開口部分が一メートル近くある巨大なもので、野外では役立つが、室内では、時にその大きさがあだとなる。窓枠と壁との段差でできた隙間を使ってB3-2Fはすんでのところで私の攻撃をかわした。そのわりに、ひらひらと、どこかのんきに天井近く、さらには研究室の奥の方へと飛んでいく。何度か虫取り網を振り回したが、棚や天井に止まっても角度が急すぎたり、隙間があったりとなかなか捕まえられない。しまいには、研究室にあった小さなビーカーを二つも落として割ってしまった。実験器具は手作りであることも多く高級品だ。始末書を書くことになるかもしれない。これ以上ここで大立ち回りを演じることが正しい選択とは思えなかった。しばらく飛ばせて疲れさせようと気持ちを切り替え、B3-2Fはそのままに、私はパソコンで研究の関連論文を探すことに没頭した。

 どのくらい経っただろうか。論文を一通り読んで、ふと見ると、B3-2Fが、パソコンが載る机に止まっていた。気づいていないふりをしながら、私はチョウを入れる小さなケースを別のテーブルから取り、彼女の視界に入らないよう隠しながら、静かに近づいた。射程距離に入っても、B3-2Fはまだ動かない。息をひそめて、ケースをB3-2Fの上にゆっくりとかぶせた。パコッ。ケースが机に当たる音がする。ついに、B3-2Fは透明なケースにおさまった。彼女は突然狭くなった空間に驚いたようで、カツカツとケースにぶつかりながら飛んでいたが、しばらくすると動きを止め、机の上に静かにとまった。私は、机の上のB3-2Fをケースごと少しずつ動かし、底部分になる蓋をはめた。

 研究棟を出ると、もう夕方だった。湿気を含んだ夏の空気に、土のにおいが混じる。私だけ外気を感じているのが不思議だった。こんな私がチョウにだけは圧倒的な圧制者としてふるまっている。自分のいびつな感情を、研究室でだけ解放しているような気さえしてしまう。あの時、自由に生きなと窓を開けられたら、私の気分は晴れただろうか。「いや」とつい声が出る。それは瞬間的なナルシズムでしかない。もともとここに生息するチョウではないのだ。外に出ても長くは生きられないだろう。それでも、彼らは自由に木々の間を飛び、花を見下ろし、蜜を吸う時間を望むだろうか。

 私はまたヒロミヤへ向かった。きょうはカウンターの奥にヨシエさんだけが座り、お兄ちゃんと話をしていた。私がビールを頼んで、ヨシエさんから一席あけた隣に座ると、ヨシエさんがこちらを見て、「お、バタ子。久しぶり」といった。

「バタ子?」

「ん? たしかチョウの研究をしているでしょ。バタフライの研究をしている子で、バタ子。いいネーミングでしょ」

 たしかに、悪くはない。

 命名されついでに、私はヨシエさんに、きょうの私の暴君ぶりを話した。ヨシエさんは笑って聞いていたが、私が話し終えると、こちらに向かって座り直し、

「それで? バタ子はどうしたいわけ」という。

 何を言われているかわからず、ヨシエさんを見つめていると、

「それは、チョウにあなたを重ねているから、そう思うんでしょ。本当は自由になりたい。飛び立ちたい。そういうことなんじゃないの」

「そう、なの、でしょうか」

言われても、自分ではすぐにはわからなかった。ビールのグラスを見つめながら、私は自分が何をしたいのか、いまさらに考えた。腕組みをして、時々うなって考え込んでいる私を見つめ、ヨシエさんは

「そういうのって、案外単純に考えていいんだと思うよ」

「もしバタ子がチョウなら長く生きられなくても、飛んでいきたいのか。それとも餌のもらえる環境に残りたいか。結局、残っても一生安全が確保されるなんてことはないんだから。問題はリスクじゃなくて、どっちが心躍るか。直感で動くときが人にも一度は必要だよ」

「まあどこかから圧制者が出てきて、邪魔をされる可能性ももちろんあるけどね」と、ヨシエさんは小さく付け加えた。

私は飛び立ちたいのか。—―—―そうかもしれない。

 一度そう思い始めると、夏の湿度を羽に感じ、大学の研究棟や鬱蒼とした木々を見下ろして、永遠に続くような大きな世界をひらひらと飛ぶ情景が、目の前に広がるようだった。勝ちたいわけではない。けれど、動きたい。そういう衝動が私の中に、確かにある。それがうれしかった。

 スマホを取り出しメッセージを送る。あっちはいま朝だろうか。きっと湿度はこんなにないだろう。頭に思い描くだけでこんなに興奮しているのが、自分でもおかしかった。動こうとする自分に、希望を見出していた。

遅れて来たけんちゃんが、みんなとあいさつを交わしながら来て、隣に座った。

「やだ、なんかニヤニヤしてる。いいことあったのー」

そうかもしれない。私は蜜の代わりに、目の前のビールを飲み干した。