研究経過報告①

  • 日本・東洋美術史ゼミ

熱田 千織

一般公開

 現時点で、中間報告書Ⅱの内容は、《寝覚物語絵巻》(以下、寝覚)の既往研究、来歴(主にパトロン)に関するまとめと、平安時代の建物と服飾についてまとめようと考えています。

 次回は、寝覚の来歴(主にパトロン)・平安時代の建物についてまとめる予定です。

寝覚の詞書と画面に関する既往研究が多くを占めていたため、今回は、詞書と画面についてまとめものを投稿します。(研究で使用する段のみ)

目次 

1.既往研究(詞書と画面)について 

1.第二段 

2.第三段 

3.第四段

1.既往研究について 

 以下、寝覚の既往研究についてまとめる。 

 既往研究より物語本文のない箇所ばかりが残っている絵巻であるため、詞書が本文からどのような方式で抽出されているかは全く調べようもないが、幸いなことに詞書と絵画がうまく一致すると考えられる段が三か所残されていると述べられている(註1)。 

 本稿では、この三か所の段に記載されている詞書についてまとめる。なお、紙継ぎの順序に錯簡があるため、詞書は正しい順序に訂正したうえで記載している。 

1.第二段   

場面内容;まさこ君が庭の松と藤の花、箏の琴の音に惹かれて、冷泉院の故左大臣の女御の邸に忍び入った場面 

【詞書】 

 月入りがたのあけくれの空、春秋の霞、霧にも劣らぬけしきなるに、いと大きな   

 ど、木立□もの古り、いたく荒れたる所に、散りにし花の梢ども、いと若やかに青みわ 

 たれる中に、松の末より木高く咲きかかりたる藤の、いとなべてならずものにおもし 

 ろし。過ぎにし春の□の□ひも忘れぬばかりなれば、車おしとどめさせて見入るれば、 

 笙の琴の音も□ゆなり。朝まだき起きたる人もあなりと、をかしく思ひやられて、ここ 

 よ、いづくぞと問はせ給えば、故左大臣殿の女御のおはするとこ□り□申す。まこと、さ 

 ぞかし。いで、あはれを□ほどなめるを、いま少し近く□りて、花をも見、琴の音をも 

 かむ。□見つくる□とあらば、往来の道にも過ぎ難くて、なども言ひ寄□、さらずは、し 

 のべてもいでなむとおぼして、御車よりおりて、歩み入り給へど、わづかなる宿直人 

 は、明けにけると思ひて、寝にけるなるべし、人影はせず。中門につづきたる廊に歩み 

 寄りて見給えば、藤は寝殿の東巽の墨のつまなるに、簾をまき上げて、高欄に宿直姿 

 かしげなる童寄りゐて、花を見上げたるあり。長押の上の柱のもとにいたくゐかくれ 

 て、唐撫子のいろいろなめり。蘇芳をうへにて、あざやかなる薄色の裳、腰つきをかし 

 くひきかけて、和琴を弾く。 

※ひがしたつみ(東南の方向) 

詞書要約 

月の沈もうと暁時 

A、忍び歩きの帰りの車の中から、 

 1、古木の荒れた中に、若葉の桜や松に美しく咲き掛かった藤などが趣深くみられた。 

 2、箏の琴の音も聞こえて北来た。 

B、車を降りて、歩いて中に入っていくと、 

 1、宿直人も寝たらしく人影が少ない。 

C、中門に続く廊に歩み寄ると、 

 1、寝殿の東南の隅に松に掛かった藤がある。 

 2、(他文献では勾欄)に寄りかかって宿直姿(とのいすがた)の可愛らしい童が花を見上げている。 

 3、柱の元で隠れてよくみえないが、唐撫子の色々を重ねている女房がみえる。 

 4、蘇芳の表着(うわぎ)をきて、鮮やかな薄色の美しく着た人が和琴を弾いている。 

 まさこ君は母である寝覚の上の死が偽装死であることを知らず、嘆きのあまり北山にこもる。それを聞いた寝覚の上は、自身の子の身を案じて、思い嘆く。 

 既往研究によると、『拾遺百番歌合』(しゅういひゃくばんうたあわせ)八番右に、 

  右大将三位中将ときこえしは、北山にこもり給ひひぬとききて 

 しらざりし山辺の月を独りみて になき身とや思い出づらむ  寝覚の上 

 とあり、秋の頃のことと思われる(註2)と述べられている。加えて、「同じく十七番右に 

  母上かくれ給ひぬときこえし時より、北山にこもりゐて、次の年の春、 

 さくらにつけて中宮へまゐらせける   右大将 

 とあり、まさこ君が北山へ籠った翌年の春の頃の物語である(註3)」と述べている 

【画面】 

 画面は、上部斜めに寝殿、手前には大きく前栽が描かれていることが分かる。既往研究によると、この構図と近似するとは言い難いが、このような構図は、《般若理趣経》(はんにゃりしゅきょう)第十八紙(東京・大東急記念文庫)、《紫式部日記》第二段(蜂須賀家本)に見ることができる(註5)」と述べている。 

 画面は、7割程度を寝殿が占めており、寝殿を中心に描かれていることが分かる。殿の色は第四段の寝殿に比べ、薄暗く、寒色で塗られており、既往研究によると「月の入り方のほの暗さを表現するためだろう(註4)」と述べられており、この表現は、第一段、第三段からも同様の表現が見られていること、月を用いらずに月が出ている時間を表している典型的なパターンであることが確認できているこの月に関する表現だが、先に挙げた3つの段のうち、どれにも月描かれていない(第三段に関しては月が元々描かれていた可能性を指摘する論文がある)。少数ではあるが、月が描かれている絵巻も現存していることから、月は画面の情景を補助あるいは協調する役割を果たす可能性が考えられる 

 一方で、詞書で書かれている「暁時」という表現が見当たらないため、画面に表現する際に省かれた、画面に表現する必要がない情報なのではないかと考えられる。 

 加えて、多くの既往研究で述べられていることだが、右端約5~10.5センチメートルほどの所に紙継ぎがみられており、構図が食い違っていることが述べられている。伊藤敏子氏は、継ぎ目の欠損部分を復原している。伊藤氏によると、中門から続く廊の部分延長され、紙面の左右は約53センチメートル、第一段段の絵とほぼ同寸となる(註6)」と述べている。これによって、寝殿に奥行きが現れ、構図が生きることが確認できる 

 画面右端には、冠をつけている男性が描かれている。詞書からまさこ君であると確認できる。加えて、寝殿内には、女性が二人描かれている。一人は端近くに座り琴を、一人は奥に座り箏を弾いている。これらの人物の位置関係から、まさこ君が箏を弾く女性に心を引かれていることが確認でき、細かな心理描写が描かれていることが分かる。 

-2.第三段 

場面内容:冷泉院から勘当を受けて女三宮との仲を引き裂かれてしまった、まさこの君が、女三宮付きの女房である中納言の君の里を訪ね、己の悲痛な心情を訴えかける場面。 

【詞書】 

 浅茅が末の白霧といひし中納言の君、里にいでたりと聞きて、うちしのびたづねおはし 

 たるを、見たてまつしりは、いささかそのふしの浅きとも見え給はざりしを、にはかに 

 ひき放ち、夢などを見さしたるやうなるあはれを(以下、4~5行欠損) 

 (断簡) 

 ひとよりはおもひしる人にて、かたわらいたくさるよういもなきにと、はづかしながら 

 妻戸たつところにおまし 

 (断簡) 

 まいりてゐさりいて□この人さへめづらしくあはれなるに、人わろくなみたそ 

 (初めの一行脱) 

  召されんとも思はねど、いま一目の見まくほしさに、かげとどめつつながらふるさま 

 を、いとめやかに言ひ続け給へる気色の、あはれに心深きさまに、見る人も心づくし 

 るままに、あはれ多く添えつつ、かつは、なぐさむばかりにも、心ぐるしきままに、答 

 へきこえつつ、見出せば、暁かくる月さし出でて、いと広くはあらぬ庭のたたずまい、 

 さすがに、木暗き木の下、いと冴えたるに、遣水に蛙の声々ここかしこかしがましき 

 も、おかしくあはれにうちながめ渡して言へば、えんにめでたく、なまめきこころ深き 

 に、うち嘆きしめりて、柱に寄りぬ給へるほど、絵に書きてもあまりに見ゆる。よろづ 

 をかきつくし、言ひおきて帰りなんとするほど、ほととぎす一声うち鳴きて渡る 

  うき世にはわれ住みわびぬほととぎす 

  死出の山路にしるべやはせぬ 

 とて出で給ふ。月影のなげのまもゆゆしく、涙ぐましく見たてまつり送りて、 

  思ふこと大内山の山深く 

  さこそは同じ音をばなくめれ 

 さりげなくて、心ぐるしく見たてまつりおり、多くこそといふにも、げにうちしめり、 

 御覧じも知らぬ山深くながめさせ給ふらむ御有様のこちたさも、ただいま見たてまつる 

 心地して、(数行の余白) 

【詞書要約 

A、里帰りした中納言の家を訪れる。 

 1、妻戸辺りにまさこ君のための御座所を作って、自らもいざり出る※。 

 2、まさこ君が泣きながらに心情を語り、中納言君がなぐさめつつ答える。 

 3、暁頃月がさし出した時に広くはない庭には、木暗き木の下が冴え、遣水に蛙の声が騒々しく聞こえるのが趣深くあわれである。 

 4、まさこ君が嘆き沈んで柱に寄りかかる姿は、絵にかいても余るほどであると中納言君がみる。 

 5、まさこ君が言い尽くし、帰ろうとした時、ほととぎすが一声鳴いて渡っていく。 

 6、二人の和歌の贈答。 

 画面の5割程度を寝殿が占めている。第二段と同様に寝殿が薄く暗く、寒色で塗られている。第三段は、第二段とは異なり、建具が描かれている。この建具は、第二段以外に描かれており、通常、絵巻では省かれている場合が多い。また、寝覚において、建具が描かれている場面は、人物が嘆いているなど、感情を露わにしていることが多い。このことから、建具が心情や心の距離を表している、補強しているのではないかと考えている。 

 構図は、左下がりで、画面を区切り、簀子の存在感を感じ取ることができるような、左を屋台とし、上部右方向から霞迫りくる構図となっている。既往研究によると、「この構図で描かれている絵巻は、いずれも霞の中に月が描かれ、現存する寝覚では月は確認できないが、元々月が描かれていたのではないか(註7)」と述べている。これを踏まえて、画面に描かれている簀子は、月の光を寝殿内に差す役割を果たしているように考えられる 

-3.第四段 

場面内容:山の座主を介してまさこ君への勘当が解けることを嘆願する寝覚の上の手紙が冷泉院に奉られ、寝覚の上が死去したばかりと思っていた冷泉院が、結ばれることのない相手を想って涙を流している場面。   

詞書 

  院にはいといみじくおこなひすましておはしますに、山の座主まいりたれば、そでな 

 こそあはせ給ふこともかたけれ、法師といへど、さばかりの人の分けまいりたれ 

 ば、人づてなどにもてなさせ給ふべきならねば、こなたにと御前に召して、御物語のど 

 やかに給ふ。さるべき法文など問はせ給ふに、ややひさしくなれば、御前に人もさぶら 

 はず、いともの遠きに、□を□うち□めぐらして、ものうしろめたげにうちやすらひて、 

 この御文をまいらす。かけてもおぼしよらず。たがにか、思ひもよらず。心深き御使に 

 もとて、引き開けさせ給へれば、気色ばみて、ここかしこに書き乱すなどもせず、ただ 

 例のうちとけ文のさまにて、 

  暗からぬ道に尋ねて入りしかど 

  この世の闇はえこそ晴るけね 

 よろしきにおぼしゆるさせ給ふべくはいかに。あなかしこ、とばかり墨消えけたえても 

 あらず。いとくつろかにうち解け書かれたるしも、墨つき筆の流れ、目も及ばず、かが 

 やく心地するを、とばかりうちかたぶきおぼしいづるに、御心のうちさわぎ、胸つぶつ 

 ぶと鳴りて、思ひもかけず、夢の心地せさせ給ふに、とばかりものも仰せられず、まも             

 らせ給ふに、憂くあさましくいとひ捨てて、にめづらしかに、この世ならずうらめし 

 と、あたりの木草さへねたくうとましとおぼしめして、身をもなきなしはて給いてしな 

 れど、おぼろけなく、しみかへりにし御心のな□いとたけく、よろづをおぼしさますと 

 おぼしめせど、楊貴妃かむざしの枝ばかりを、蓬莱の山よりはるかにへだたりて待ちと 

 給へりけむ御心の中、かくぞありけむと覚えて、人わろくほろほろとこぼれさせ給ひ 

 ぬるを、座主の見たてまつるを、いとはしたなくおぼしめしかへせど、とどめさせ給は 

 むかたなし。 

詞書要約 

A、冷泉院の御座所 

 1、山の座主(やまのざす)が冷泉院の近くにまねき入れられる。 

 2、座主と院のものがたり、法についての問答などが行われる。 

 3、人々が遠くにさがった時、座主が手紙を渡す。 

 4、院が手紙を開けて読み、しばらく無言となる。 

 5、院は、座主が前に居ることを知りつつも、なお涙にくれる。 

 既往研究によると、「第四段の詞書は、四紙とも左右ほぼ23センチメートル、第一紙の第一行目の書き出しの余裕や、第四紙の終わりに余白が残され、本文内容にも欠落がないことから、原状を完全に伝えるものと思われる(註8)。」と述べている。他の段に比べて、彩色が残っていることが確認できる。 

 既往研究によると、画面は23.8センチメートルしかないと述べており、左右がかなり切り取られ不自然な画面構図になっていることが確認できる。 

 原状、画面が屋内の光景のみであるため、人物を中心に整理する。 

 まずは、冷泉院について整理する。既往研究によると、「冷泉院は薄墨色の法衣に袈裟を掛け、脇息(きょうそく)に身をもたせて涙される(註9)。」と述べている。院の膝の上には、寝覚の上からの文が広げられていることが確認できる。 院は、顔をうつむかせ、顔を隠すようにし、泣いている様子をみせている。 

 次に、画面について整理する。第四段の御座所(建物大きさ)は、他の段よりも大きく描かれていることが確認できる。一方で、描かれている背景は一番狭いことが分かる。これを踏まえた人物の大きさは建物の大きさに比例するように、大きく描かれている。このことから、背景の描かれる広さによって、建物と人物の大きさが変化していることが分かる。 

註・参考文献 

註  

1)池田洋子「寝覚物語絵巻(大和文華館所蔵):その詞書と絵画」、名古屋造形芸術短期大学、1954年、p76。     

2)伊藤敏子「「寝覚物語絵巻」考」、『日本絵巻大成1源氏物語絵巻寝覚物語絵巻』p171―186、中央公論社、1977年、p178。 

3)伊藤敏子「「寝覚物語絵巻」考」、『日本絵巻大成1源氏物語絵巻寝覚物語絵巻』p171―186、中央公論社、1977年、p178。   

4)伊藤敏子「「寝覚物語絵巻」考」、『日本絵巻大成1源氏物語絵巻寝覚物語絵巻』p171―186、中央公論社、1977年、p179。 

5)澤田和人「寝覚物語絵巻についての一考察」、『特別展 国宝寝覚物語絵巻-文芸と仏教信仰が織りなす美-』pp146、大和文華館、2001年、p146。 

6)伊藤敏子「「寝覚物語絵巻」考」、『日本絵巻大成1源氏物語絵巻寝覚物語絵巻』p171―186、中央公論社、1977年、p179。   

7) 澤田和人「寝覚物語絵巻についての一考察」、『特別展 国宝寝覚物語絵巻-文芸と仏教信仰が織りなす美-』pp146、大和文華館、2001年、p146。 

8) 伊藤敏子「「寝覚物語絵巻」考」、『日本絵巻大成1源氏物語絵巻寝覚物語絵巻』p171―186、中央公論社、1977年、p183。 

9) 伊藤敏子「「寝覚物語絵巻」考」、『日本絵巻大成1源氏物語絵巻寝覚物語絵巻』p171―186、中央公論社、1977年、p183。 

参考文献

・秋澤亙・川村裕子編『王朝文化を学ぶ人のために』、世界思想社、2010年。

・澤田和人「寝覚物語絵巻の一考察」、『特別展 国宝寝覚物語絵巻-文芸と仏教信仰が織りなす美-』、大和文華館、2001年。

・伊藤敏子「「寝覚物語」考」、『日本絵巻大成1源氏物語絵巻寝覚物語絵巻』、中央公論社、1977年。

・池田洋子「寝覚物語絵巻(大和文華館所蔵):その詞書と絵画」、名古屋造形芸術短期大学、1954年。

【先生へ質問】

・中間報告書を作成する際に、用語の説明を加えたいが、用語の説明をどこに書けばよいのか。註・参考文献の欄に書いても問題ないか。

・現在、並行して絵巻の研究史について調べているが、なかなか出てこない。研究史の調べ方を知りたい。また、研究史を調べるよりも、史学雑誌から研究を抑えていった方がよいのかも合わせて知りたい。

熱田 千織 アツタ チオリ

所属:芸術専攻 芸術学・文化遺産領域