流れ星のオルゴールから、校庭の匂いが奏でられた【『恋と誤解された夕焼け』流れ星の詩 (最果タヒ)】
- クリティカル・ライティングゼミ

10月の本(詩集)課題
流れ星の詩
流れ星のオルゴールから、校庭の匂いが奏でられた
文学を仕事にしている人は、お守りのように
人生の指針にしている詩集を必ず持っている――という私の持論が、またひとつ証明された。
私は詩集の知見がないので、文芸評論家の三宅香帆さんのSNSの過去投稿からおすすめの詩人を調べ、
そこから最果タヒに出会った。今回手に取ったのは彼女の著書である。
年齢も近く、十代からブログで星や恋をテーマに詩を発表・投稿していたという経歴に、
私も一万件以上のブログを書いてきた身としてシンパシーを感じる。
私は自分の書いたものを願いや祈りを込めて「星」と呼んでいる。
試しに図書館で詩集を開いて読み始めると、頭の中に懐かしいメロディーが流れて来た。ああ、これは心の琴線に触れている。詩がオルゴールのピンとなって、読み進めるごとにシリンダーが回り、私の内面に旋律が奏でられていくのだ。
興味深いと感じたのは、縦書きや横書き、さらに詩の内容によって書体が変更されていた点だ。
自分の文章では一度も気にしたことがなかったが、書体が変わるだけで内容の印象さえも変わっている。
来年の卒制に向けて、新たな収穫があった課題である。
構成は、横書きは相手を思い祈る慈愛の気持ちを、縦書きは恋の焦燥を表しているように感じられた。
(そういえばサンスクリット語で愛の語源は「渇き」であったな、とふと思い出す。)
今回、紹介した詩は、横書きだ。恋をする相手を応援したい熱意が、健気かつ献身的な慈愛に満ちていて眩しい。
しかし優等生な自己犠牲が透けて見えてどこか暗く、寂しく切ない。
ああ、嫌だな。今度は校庭の砂ぼこりの匂いもしてきそうだ。恋と誤解された夕焼けだ。
『恋と誤解された夕焼け』(最果タヒ、新潮社、2024年)