11月の本(ジャケ買い)『遠慮深いうたた寝』
- クリティカル・ライティングゼミ

『遠慮深いうたた寝』 (小川洋子、河出書房新社、2025年)
「心は時間をかけて、言葉が育てるから」
「平積みされた本は、有難い。平積みの期間は短いから。」そうか、有難いことなのかと知ってから、私は平積みされた本を、書店で出逢う本を、季節の花や旬の野菜を見るように、しげしげ眺めるようになった。ある日、陶器に絵が描かれた装丁の1冊が目に留まった。本の装丁は大体、新刊のために描きおろされる。ということは、この陶板画はこの本のために焼かれた作品なのだろうか。 陶器は作家が長年の経験や知識を積んでいても、焼き上がりの工程で思わぬ失敗もある。別畑の作家として、頭が下がる思いだ。陶作家への敬意を表し、購入してから気づいた。小川洋子さんのエッセイだった。
この半年、毎月1冊は授業で取り上げるために本を読んできた。しかし何故か上手く本が読めないときがあった。頑張って注意深く、文字辿っても別のことを考えてしまい、ぼんやりと文字をなぞるだけ。読書に集中できない自分の底の浅さを責め、本に見放される気がして怖くなり、読書から遠ざかっていた時期がある。しかし、この本のいくつかのエッセイは自分ごとのように読み進めることができ、ほの暗い自信の無い独り言、ありもしない妄想、不器用ながら好きなものを見つける追う勇気を、有名作家としてではなく、おばちゃんの日常として書かれていることが心地よく、気づけば本が読み進められるようになっていた。とはいえ、やはりただのおばちゃんではない。これは作家特有の鋭い観察眼と何気ない日常を記憶する力が織りなす技。見知らぬ人の会話、たまたま入った蕎麦屋の日付の話など、平然たる日々を少し特別にほっとするやさしい描写に随所、散りばめられている。読み進めるうちに力が抜けたのか、あることに気づいた。「自分にとって今、必要なものにはスッと読める。読めないものは、今の私にはまだ少し早いだけ、そのうち読めるようになる。このまま次のページをめくってもいい」と。読書は一言一句を正確に読み理解するだけではなく、読めなかったページは、いつかの成熟した自分が読む、楽しみとして残しておいでもいいのだ。
寝る前に大切に読んでいる。食べたもので身体が作られるように、優しいことばたちが、少しずつ私に沁み込み、心が育つように。
