劇団四季『オペラ座の怪人』

アンドリュー・ロイド・ウェバー氏のミュージカル『オペラ座の怪人』が大好きで、収録映像(25周年記念公演/ロイヤル・アルバート・ホール)を数えきれないくらいに見た。『オペラ座の怪人』を好きになったきっかけは、大学の授業で2005年の映画を観たことだ。クリスティーヌが父の墓を訪れるシーンが心から離れなくなった。ただロイド・ウェバー氏のミュージカルを舞台で観たことはないし、ブロードウェイに行くのは夢でしかない。劇団四季の『オペラ座の怪人』が、地元にこの夏出来た新劇場で、最初の上演作品に選ばれた。劇場の外壁には、大きなファントムのマスクの絵が掲示され、遠くからでも眺めることができる。日本語の歌詞を、YouTubeで聞いたことがあり、それほどの期待はしていなかったが、今日、初めての観劇に行くことができた。
劇団四季の『オペラ座の怪人』は、ロイヤル・アルバート・ホールで上演されたものと相当にかけ離れていると思っていた。それはYouTubeで聞いた日本語の歌詞が、もともとの歌詞とかけ離れているとの印象を持っているからだ。例えば、ファントムがクリスティーヌに何度も訴える「Sing for me」の「for me」は「私のために」と歌われているが、「~へ向かって」と訳すこともできる。ひょっとしたらファントムは、自分のためにクリスティーヌを歌わせようとしているのではなくて、ただ漠然と「自分に向かって歌え」と言っているだけかもしれないのに、「私のために」と訳される事で、意味が削ぎ落されたのではないか、という疑問が浮かぶのだ。
ロイヤル・アルバート・ホールの『オペラ座の怪人』では、クリスティーヌが鏡の奥の道を通ってファントムに連れ去られる時、ファントムが、
The Phantom of the Opera is there/Inside your mind ファントムはあなたの心の中にいる
と歌い、クリスティーヌも
The Phantom of the Opera is there/Inside my mind ファントムはわたしの心の中にいる
と歌う。
クリスティーヌが現実かどうかも判断できない状態に陥っているのにつけ込んで、夢の中にいるような印象を助長することで、クリスティーヌが怯えて逃げるのを防ごうとしているように思える。劇団四季のバージョンでは、その現実と夢の間のような印象が薄く感じられた。それは「(あれは)あなたね」という明瞭な歌詞のせいかもしれない。
ただ今日ミュージカルを観て、そのような歌詞の違いは、思った以上に作品を損なってはいなかったという意味で、劇団四季『オペラ座の怪人』を英語の歌詞を用いたものと全く違うように思っていたのは、食わず嫌いのようなものだったと思った。
他にも多くの感想が浮かんだ。例えば、ファントムの声は色んなところから聞こえてくる。2階B席の座席から舞台へ向く時に左側沿いの壁に付いているスピーカーからファントムの声が聞こえたかと思うと、次は遠くの右の方から聞こえ、次は目線から前の方にある天井と繋がっているセットの辺りから響いてくる。これらの音響器具が暗闇の中にあり、明瞭に視認できないのは偶然かもしれないが、ファントムが舞台への働きかけを暗闇から行うこととよくマッチしている。舞台のクリスティーヌにとっては「音楽の天使」の声である。ファントムの声は、私に聞こえているのだから、クリスティーヌにも聞こえているはずだと思うと、舞台上で進行中のミュージカルと現実との境目がどこにあるのか、わからなくなってくる。
そのような細かいいつくかの感想を持ったが、重要と思われた点は、全てが観客に見られていることがよくわかる点だ。「そんなことは当然」であるだろうが、今日も朝から流していたアマプラの配信作品と同じ音楽が会場内に響き、シャンデリアが天井に釣り上げられ、それを観客が観ているという情景は、作品をいつも自分だけの世界に閉じこもって観ている私には、目新しいものでしかなかったのだ。
すべてはテンポよく進む。ファントムが作ったオペラが演じられるシーンも同様だ。今回のミュージカルでそのような説明があったかは不明だが、アンドリュー・ロイド・ウェバー氏の『オペラ座の怪人』なら、そのオペラはファントムが時間・心血を注いで書いたものである。そのオペラは、その熱意の量を汲み取ってゆっくり味わうように演じられはしない。決められた時間の通りに演じられねばならない。その当然のことが、最も重要と思われた。ファントムやその生活は、現実であれば舞台に乗せるべきではないものだ。だから彼は人に見られないところに住み、秘密裡に行動する。それらを舞台上で公開しているからこそ、あのラストシーンと、犯罪者のファントムが皆に愛されるという事に、意味が生まれるように思われる。