スペキュラティブデザインの初期的調査と考察 ― 《PARALLEL TUMMY CLINIC》の鑑賞を通じて

  • 芸術理論・西洋美術史ゼミ

涼子

一般公開

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はじめに

本稿では、2018年に英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(以下、RCA)のデザイン・インタラクション学科において展開されたスペキュラティブデザインに関する初期的な調査の過程を報告する。筆者は前稿にて1910年代に台頭した未来派のアート運動について報告したが、本稿では、それからおよそ100年後に誕生した、同様に「未来」を主題とするスペキュラティブデザインというアートデザインの潮流を取り上げる。スペキュラティブデザインの制作者たちはデザインとアートを明確に区別せず、「アートデザイン」という概念を用いている。その詳細については別稿にて記載する予定である。本稿では、スペキュラティブデザインの成り立ち、理念、教育的背景、実践事例を、筆者自身の体験を交えながら紹介し、その意義と可能性について考察する。

スペキュラティブデザインの成立と理念―筆者の属するデザイン学派との関連性

スペキュラティブデザインは、RCAのアンソニー・ダンおよびフィオナ・レイビーによって提唱された問題提起型のデザイン手法である。その誕生の背景には、従来のデザイン教育に対する批判的視座がある。

筆者が博士号を頂いたデザイン学派では、2010年代までにデザインの型を「図案表現型」「問題解決型」「理想追求型」の三類型に分類していた。その詳細を以下に示す。

  • 図案表現型:美しい形の創り方に関するデザイン。「過去」の図版やプロダクトなどを手本に美しさという人の記憶や体験を辿りながら、表現力を発揮する。
  • 問題解決型:「現実」に存在する社会課題をリサーチし、そのソリューションを提示するデザイン。
  • 理想追求型:デザイナの価値観をもとにありたい「未来」を構想し、それを実現するために、バックキャスティングなどの手法を用いるデザイン。

アンソニー・ダンは、当時、美術専科などで主流となってきていた図案表現型と問題解決型のデザイン教育が、デザイナが地球規模の課題(気候変動や水不足など)に対しても解決策を提示できるという錯覚を与える恐れがあると提言した。現代社会においては、解決不能な課題や価値観の対立が顕在化しており、そうした文脈では、課題の解決ではなく、課題の提起、すなわち人々の価値観や行動様式そのものの変容を促す必要があるというのが、スペキュラティブデザインの基本理念である。

スペキュラティブデザインと理想追求型デザインの比較

スペキュラティブデザインと理想追求型デザインは、ともに思考の時間軸を未来に置く点で共通しているが、デザインの姿勢と主語のあり方において大きく異なると筆者は考える。理想追求型デザインは、デザイナ自身が思い描く「理想」を社会に提示するデザインであり、主語は“I”である。一方、スペキュラティブデザインは、「望ましい未来」を社会全体で議論するためのきっかけを提供するものであり、その主語は“We”である。
ダンは、デザイナが「ありたい未来」を一方的に提示することの説教的・独善的な側面を警戒し、デザインを通じて社会全体が未来について考えるための「対話の場」を創出することを重視している。ここにデザイン態度の大きな違いがある。

問題提起の装置としてのスペキュラティブデザイン

スペキュラティブデザインの目的は、萌芽的に実装されつつあるテクノロジーや社会現象を起点に、起こりうる未来(possible future)を想像し、鑑賞者に思考の違和感や疑問を与えることにある。これにより、鑑賞者がそれぞれの価値観に基づいて未来を考察し、他者と議論を行う契機を生む。

この実践において重要なのは、あくまで未来を「提示」するのではなく、「問いかける」ことである。未来とは、唯一の正解が存在するものではなく、多元的かつ流動的であるという前提に立ち、鑑賞者一人ひとりが自らの立場をもって考え、語ることが求められる。

長谷川愛の作品と筆者の体験

筆者がスペキュラティブデザインに初めて触れたのは2018年、日本の美術大学で情報デザインを専攻していた頃である。当時、メディアアートの代表作品を学ぶ中で長谷川愛の代表作《わたしはイルカを産みたい》(2011年)に出会った。作品の鑑賞を通じて筆者が感じた思考的違和感は、まさにスペキュラティブデザインの本質──問題提起による価値観の揺さぶり──に起因するものであったのだろう。

その後、2010年に21_21 DESIGN SIGHTで開催された「トランスレーションズ展」で鑑賞した《Human × Shark》や、今回ギャラリーSHUTLで鑑賞した《PARALLEL TUMMY CLINIC》においても同様の体験を重ねた。

PARALLEL TUMMY CLINIC》は、人工子宮が一般化した2075年の未来を舞台とする没入型のインスタレーション作品であり、鑑賞者は「来院者」として問診に参加する。AIによるインタラクティブな問診を通じて、鑑賞者自身の価値観や常識が問い直される構造となっている。筆者自身も本作品を通じて問題提起を受けたが、その詳細は意図的に記述を控える。なぜなら、スペキュラティブデザインにおいて重要なのは「作家が何を創り、何を提示したか」ではなく、「鑑賞者が何を考えたか」であるからである。この点については、それぞれが鑑賞者となり作家と共に思考する機会を設けてほしいと切に願う。

制作プロセスと教育的示唆

PARALLEL TUMMY CLINIC》の最終映像作品には、その制作過程の一部が収められている。制作チームは、作品に関連する技術や社会背景について綿密な調査を行い、ペルソナを設定したうえで、即興劇形式のセッションを繰り返していた。議論の中では、役割の入れ替えや内省的な振り返りを通じて、多様な視点から未来像を構築していく。こうした手法は、特定の正解を導くものではなく、多様な制作チームのメンバーの価値観を持ち寄り、思考を拡張していくプロセスである。

このアプローチは、スペキュラティブデザインが目指す起こりうる未来(possible future)を「ありふれた未来(future mundane)」に落とし込む作業である。すなわち、現代の文化・価値観を保持したまま、未来社会に新たな技術がどのように位置づけられるかを思考することで、現実との接点を濃くし、「ありふれた」様相を付ける。そこに描かれる未来は、輝かしいビジョンではなく、現在と地続きの未来であり、だからこそリアリティを持って鑑賞者に問いを投げかけることができると考える。

おわりに

スペキュラティブデザインは、未来に対する思考実験の装置として、鑑賞者の内面に問いを投げかけ、他者との対話を促す点に大きな意義を持つ。それは、未来に関する問いをデザイナや科学技術などの専門家に委ねるのではなく、社会の構成員である鑑賞者を含め、皆(We)で考え議論していく営みの始点を提供する。

本稿では、筆者の鑑賞体験と、スペキュラティブデザインのデザイン態度と意義を論じた。今後のさらなる調査を通じて、スペキュラティブデザインがもたらす未来社会への示唆に加え、未来派のアート運動との違い、人が未来を洞察する行為や動機を明らかにしていきたい。

参考文献

  • アンソニー・ダン, フィオーナ・レイビー (2015)スペキュラティヴ・デザイン 問題解決から、問題提起へ。—未来を思索するためにデザインができること,ビー・エヌ・エヌ新社
  • 長谷川愛 (2020)20XX年の革命家になるには──スペキュラティヴ・デザインの授業,ビー・エヌ・エヌ新社
  • マット・マルパス (2019)クリティカル・デザインとはなにか? 問いと物語を構築するためのデザイン理論入門,ビー・エヌ・エヌ新社
  • 平賀俊孝、根本正樹、西山敏樹 (2021)FUTURE DESIGN 未来を、問う。: 夢想が生み出すスペキュラティヴ・デザインと未来のつくりかた,クロスメディア・パブリッシング
  • 田浦俊春、永井由佳里(2010)デザインの創造性と概念生成,Cognitive Studies,17(1),pp66-82.

涼子 スズコ

所属:芸術専攻 芸術学・文化遺産領域

現役研究者。【経歴】経済学士 ▶︎IT企業でSE&ISPマネージャー ▶︎ 造形学士(武蔵美)▶︎ デザイン・芸術系大学講師 ▶︎ 「デザインと共創」に関する博士論文で修士・博士号取得(Jaist) ▶︎ 京都芸術大学修士課程在籍中 ● 人が未来をクリエイトする営みに関心がある ● 好きな言葉はAlan Keyの「The best way to predict the futuer is to invent it」 ● 広島県出身だけど関西弁を話します。