『やかもっちゃん 恋の歌をこれからも歌って』

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『やかもっちゃん 恋の歌をこれからも歌って』

『恋ノウタ : Contemporary remix"万葉集" : Love songs with youつのる想い』

(三枝克之、角川文庫、20036月)

52553004 笹尾優子

今でも覚えている。どこの本屋で、どこの本棚の場所で出会ったか、開いた本の匂いさえも、今ではっきりと覚えている。あの時きっと、私は本に恋したのだと思う。

中学生になると「こくご」が「現代文」になり、そして「古文」「漢文」になった。まるで英語の文法のように変化する動詞に、発音する口が攣りそうだった。聞いたこともない言葉の連続に、10年ちょっと連れ添った「日本語」の初めて見る一面に疎外感を感じて、なんだか寂しかったのを覚えている。当時は新刊の口コミを知る手段もなかったので、本屋で綺麗な装丁の本を手に取る遊びをしていたら、当時流行のハイキー加工の効いたガールズフォトのまばゆい装丁にドキドキして本を開いたら、そこには1000年も昔なのに、鮮やかな恋の歌の連続に、まるで本から光の粒があふれ出したかのようだった。これが私と「万葉集」の「相聞歌」との出逢いだった。

万葉集の中でも恋の歌を扱った相聞歌を大胆に現代ポップス・ミュージック風にリミックスされた詩集は、歌詞のように読み上げやすく、解説はしっかりと古語についての知識と歌人の小話も書かれており、繰り返して読むうちに親しみが増え「この歌好きだな~、やっぱり『やかもっちゃん』だー!」だなんて、歴史上の歌人をまるでミュージシャンみたいに憧れて、繰り返し、繰り返し読み耽り、私だけの特別にしたかったから、同級生に隠れて読み、読んだ日は人一倍凛とした気持ちになれた。十代の私にとってのバイブルにだった。

時は20年流れ、昨年旅行で初めて富山県に訪れた。新高岡駅に降り立ったときに「万葉の町」と看板があり、運命に心が震えた。都と言えば京都と思い込んでいたので完全に油断していた。というのも冒頭で名前の出た歌人の『やかもっちゃん』こと、『大伴家持(おおともの やかもち)』は三十六歌仙の一人で、万葉集の成立に深くかかわっている。また地方官として越中の国府として富山に転じており、その際に数多くの和歌を残し、富山に万葉集の博物館が出来るほど今でも影響力を残している。これは余談だが、急遽訪れた博物館の軒先に100年に一度しか咲かない「笹」の花が咲き、笹尾が歓喜したのはまた別のお話。10代のときめきが今もこうして私を、新しい土地に意味や輝きを与えてくれている。これが恋でなくて、なんというのだろうか。