過去の自分に届ける、言葉の仕事
- クリティカル・ライティングゼミ

【修正版】笹尾優子+4月の本(M2)「自由選書」
過去の自分に届ける、言葉の仕事
「絵描きは言葉の仕事をしなくて良いのだろうか? いいわけない。」そう最初に言ったのが誰だったか、今では思い出せない。ここでの「仕事」とは、単なる職業を指す言葉ではない。何かを作り出す、描く営みそのものを呼ぶ。かつて「絵で表現できれば言葉はいらない」といった独りよがり。言葉で表現することの拒絶は、社会性の欠如につながる。この浮世離れを防ぐために、絵という表現以外のアウトプットとして言語化につとめる。
絵を描くことが、自らの思いの温度を筆に乗せることだとしたら、言葉で伝えることは、自分の何を乗せればいいのだろう。誰に差し出せばいいのだろう。欲しがる人はいるのだろうか。誰かそれを知っているのだろうか。SNSが普及する、ずっと前、その悩みを抱えた10代の美大生だった頃に私は、現代を生きるアーティストの言葉や思いを綴った1冊と出会った。紙や写真に刺繍をするアーティストの清川あさみと書道家の武田双雲のコラボレーション作品集『COM-PO-JI コンポ字』だ。
コンプレックスを題材にした文字を武田氏が書で表し、その書に、清川氏が刺繍をほどこす。complex(劣等感)、positive(積極的、ポジ)composite(いくつかの要素が合成、複合していること)コンプレックスをポジティブに考えることで自分を好きになり、ポジティブな感情に変化させる造語が「コンポ字」だ。例えば、表紙の作品は「嫌」の書。それは身をよじらせるかのようで、どこか言いよどむようにも見える。対して刺繍は「好」。「嫌」という漢字から影のように伸びた先に、小さな花の刺繍で「好」とほどこされている。嫌いという思いの裏には好きが隠れており、人の心は移ろいやすく、反転し得ることを表現したと本書で語っていた。
アートが、熱量の高い「思い」で形作られるとしたら、言葉は誰かに届ける前に「思い」の形を整えて乗せて届ける、社会との橋を形作るものだ。自分の中にある何かを新しく差し出すのではなく、だれが触れてもいい温度と形にして、そっと送り出す。届いて欲しい人に届くように、あの頃の自分に寄り添えるように。過去への自分に便りを出すように、私はこれからも言葉の仕事を続けていく。
