日記17
- 小説ゼミ1
・7月7日 火 【詩論】「感情」というものについて。
「詩」というものは「感情」と直結しているものだと考えているので、今回はそれについて
考察したい。
「感情」というものはどういったものかといわれると、まず最初に思い浮かぶのは
「お天気」みたいなものなのではないか?ということだ。
「感情」には「「喜怒哀楽」とあるが、「晴れ」が「喜」と「楽」だとしたら「曇り」と「雨」は「怒」と「哀」になる。
時々、出掛けると外は「感情」をあらわすものがいっぱい転がっている。
なにか表現する時、気をつけていることがあるとすれは感情にのまれたり、難しい理屈を考えすぎて疲れきって創作することができなくなることだ。
何事も冷静に物事をみれるひとはおもったより少ないのかもしれない。
今の時代は「怒り」とか「悲しみ」が強調されている感じがする。
そういったことはどこまで通用するのかとおもう。
ネットスラングに「冷笑系」というのかあって、これはあらゆる物事を「くだらなくて無意味で独りよがりな子供っぽいもの。」と、頭ごなしに否定するアンチの事なんだけど、
最近はこういったものに耽溺するひとが多くなっているようにみえる。
「病む事はひとつの文化です!」ということなのだろうか?
それに共感して心の傷を癒したいひとがいるのかもしれない。
そうだとしたら、なんともいいようがない。
…難しい時代だ。
こういう時、パウル・クレーを思い出す。
彼は戦争を経験しているわけだけど、いつみても彼の作品は優しく、静かにみえる。
本人をみたことなんてないのでどういったひとかはわからないけど冷静に物事をみて、
自分の作品に生かせるように努力していたようにみえる。
彼は思春期の頃は読書家で、日記をつけることもしていたそうだ。
そういった取り組みをするなかで物事には多様な価値観がある事を知り、自己分析と、
客観的な視点を養っていったうえで、自身の作風として置き換えていく練習ができるひとだったのだろう。
考える事は大事なことではあるけど、難しい事はいくら考えたってわからない。
答えがでるものもあるし、でないものもある。
自分なりの答えをみつけていくことも大事なのだ。
人間は神様にはなれないので。
冷静であることが難しいひともいる。
だけど、感情的にやられて病んでしまっては生きるのが辛いだけだ。
では、今、病んでいるひとや、感情的なひとはどうすればいいのか?
ということになると、それは身も蓋もないけど結局は自分の心がけ次第ということになる。
誰かを助ける事はできるかといえば、そういう事はできるとはおもう。
でも、それはそのひとが立ち直れるようにお手伝いはできる。という意味であって、
本当に自分を助けるのは自分だけなのだ。
実際のところ、彼がなにを考えてほしかったのかなんてわからない。
だけど、鑑賞の仕方はひとそれぞれだ。
私達にはそういう自由がある、それはとても貴重な事だ。
戦争があったら無理だ。
彼は戦争真っただ中、心穏やかに過ごせる事を願いながら制作していたに違いない。
彼の作品を前にすると切なさもあるが、癒される感じがするのはそういった想いが込められているからだろう。
20代の頃、どこの美術館でどういった作品だったかも忘れてしまったけど、パウル・クレーの作品をひとつだけ展示してあったのを目にしたことがある。
その色彩は、感情が静まり返る様なとても言葉で言い表せないぐらい幻想的にみえる美しさだった。そうして色だけは憶えていた。
これ以上は、うまく説明できない。
考えるより感じるためにあるようにみえるのである。(了)