前期_ゼミ成果発表会
- クリティカル・ライティングゼミ

子宮筋腫闘病記

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第1章と
「コロナニート、海老に呪われ、救われる」
海老20匹と貧血
2021年夏、コロナ禍真っ只中。世間の状況を伺いながら、好奇心旺盛な友達「まゆまゆ」と「におい展」に出かけた。悶絶級の激臭から、高級な香料の原料、戦国武将が愛したお香の香りまで、幅広く「香り」をテーマにした展示だ。私は絵描きで五感を感覚を養う趣味として調香するのが好きだったし、一方、まゆまゆは、知的好奇心を満たすのが好きでフットワークも軽い。食の趣味も合う彼女は、今でもよく遊ぶ大切な友達だ。当時は1年以上続く自粛ムードに飽き飽きしていたこともあり、私たちは刺激的な体験を求めていた。会場内では、世界一臭い缶詰「シュールストレミング」が意外にも拍子抜けするほどの微臭だったり、逆に加齢臭ゾーンは涙が出るほどの激臭に襲われたりと、二人で大笑いしながら楽しんだ。「花の匂いと人間の汗、内分泌液には同じ成分が含まれており、何百倍に希釈すると花の匂いになる」といった大人の知的好奇心をくすぐる学びの多い展示でもあった。
昼食は、串揚げのお店へ。ビュッフェ形式で、食べたい具材を卓上のフライヤーで揚げていくスタイルだ。自分で串揚げを作るのが楽しくて、お互いに会話をそっちのけでどんどんと揚げていく。特に私は海老にハマってしまい、そのうち衣のねり粉の工程すら省いて、ひたすら素揚げのようにして海老を揚げ続けた。「このまま、海老屋さんでも開こうかな」と思うくらいの勢いだ。
来店当初は「フライはそんなにたくさんは食べられないよね。ケンタッキーの食べ放題のときもそんなに食べられなかったし、30分もてば良い方だよね」なんてお互いに話していたのが、結局は制限時間ギリギリまで揚げては食べ続けた。私は海老だけで20匹以上は食べたと思う。油ものなのに不思議と全然、胃もたれしなかった。
翌日、悲劇が起きた。全身に蕁麻疹が出ているのだ。最初は「少しかゆいな。夏だし、数年に1回は出るアトピーかな」とのんきに思っていたら、翌朝には私の脚と両腕に、まるで赤いユーラシア大陸のような凄まじい文様が浮かび上がっていた、
観念して、かかりつけ医に駆け込む。アレルギー検査の採血を受け、症状を抑える漢方とかゆみ止めを処方してもらった。その際、医師から「ここ2、3日でアレルギーになりそうなものを過剰に摂取しましたか?あるいは、何か刺激の強いものに触れたとか」と問われ、ギクッとした。まさか「涙が出るほどの激臭を好き好んで嗅ぎに行き、そのあと串揚げで海老を大量に食べました」などと白状する羽目になるとは。本当にお恥ずかしい限りである。
そういえば、歌手Coccoのエッセイに「幼い頃に川海老を取っては食べ、食べ尽くしたらエビアレルギーになった。川の主からの罰だった」というエピソードがあった。気になってそのエッセイを見返してみると、そこには「野生動物としての人間の寿命は30年」という見出しが躍っていた。人類の驚異的な進化と、医療という文明の利器に助けられて、コロナ禍のいま、私は今日も生きている。この年、私は33歳になる。野生動物としての寿命を、ちょうど3年超えたところだ。「よく生きてるよなあ」と薬の効果でぼんやりしていく頭で、そんなことを真面目に考えるのだった。
翌週、アレルギー検査の結果が出た。喜ばしいことにエビアレルギーではなかった。よかった、私は海老に呪われてなどいなかったのだ。アレルギーの原因になりそうな食べ物は何もなかった。その代わり、血液検査は案の定、鉄不足を示していた。
血色素量の欄に「Low」の表記が並び、フェリチンという「貯蔵鉄(体内の蓄えとしての鉄分)」を示す値が「4以下、測定不能」という驚きの結果だった。
思えば10代の頃から、健康診断のたびに「貧血」と言われ続けた。しかし、正直なところ自覚症状が全くなかったのだ。目の下に青いクマは、無職になってから不眠症やスマホの酷使が原因だと思っていた。生理は少し重い自覚はあり、周期は遅めで2日目は動けない。けれど経血の異常も感じないし、痛み止めを飲むほどではないから「これが普通」と思い込んでいた。立ちくらみもしないし、身体は華奢とは程遠く、何よりよく食べるからだ。これでも自分なりに積極的にレバーを使った料理を作ったり、サプリを飲んだり、「鉄分補給」と謳う飲料を選んでしてきた。が、全く効果を発揮していなかったらしい。
初めて処方された鉄剤を服用し、一夜明けたときのこと。身体の変化が劇的だった。朝、起床時にスッと起き上がれる。頭の回転の速さはまるで最新のMacBookのようだ。何より気分が心から「生きてて楽しい☆」という気分が湧き上がってくる。かつて経験した躁鬱の「躁状態」とはわけが違う、健やかな絶好調だった。目の下のクマも消え去っていた。もしかして、これまで朝に全く起きられなかったのは、鬱のせいだけではなかったのかもしれない。
この感動的な体験をSNSに投稿したところ、整体師の友人が「女性は貯蔵鉄が少ない隠れ貧血が多いから、疲れがとれない日が続いたら、鉄剤を試すのをお勧めするよ。メンタルにも影響でるからね」とリプライをくれた。激臭とエビアレルギーから始まった大騒動だったけれど、結果として長年の不調の原因をたどり着くことができた。また、極限の貧血の状態のせいでアレルゲンの強いものと刺激に身体が耐え切れず、免疫が暴走して蕁麻疹が出たということだった。災い転じて福となす、である。
また、「眠いと怠い」は完全に別物であることも知った。「眠い」はあくびが出たり、横なりたいなと思ったりすること。「怠い」は、視界が真っ黒になる感覚だ。動けないし、動きたいとすら思えない。視界も黒いフィルターがかかったように、どんよりしている。心の中に「何かやりたい」という意欲の種はあるのに、身体が1ミリも始動してくれないのだ。
ずっと自分のことを「筋金入りの怠け者」だと思い込んで自分を責めていたけれど、どうやらそうではなかったらしい。鬱とはまた違う、底なし倦怠感。ただ、この肉体的な「怠さ」に精神的な「落ち込み」が重なると危ないだろうな、と身をもって理解した。この心身のダイナミックな変化が非常に興味深い。私は自分の経過観察をつけてみることにした。
鉄剤の経過観察
鉄剤の服用し始めてからの経過観察をまとめてみる。
・40日周期だった生理が31日周期になり、正常な早さできた。
・毎月PMSで荒れ狂っていた心が、嘘のように穏やかだった。
・夜の寝つきがすこぶる良い
・目覚まし前が鳴る前に、起き上がれることができる
・肌ツヤがいい(鉄分不足がコラーゲンの生成に悪影響を及ぼすと知り納得)
・肉を異常に欲する謎の食欲が減った
この劇的な変化を毎週WEB朝活をしている友達「みきゆき」に話したところ、
彼女は「学生で遅刻、居眠りをする子は素行が悪いのではなくて
貧血を疑え!って言われてるくらいだしね」と教えてくれた。
女性なら共感してもらえると思うが、生理の40日周期はかなり遅い。一般的に正常とされる周期は25~30日程度だ。実と言うと、ひどいときは47日周期だったこともある。本来ならすぐにでも婦人科に駆け込むレベルだったのだ。
特に、生理前にまるで人格が変わってしまうほどの激しいイライラは、本当に鳴りを潜めた。理不尽に家族へ、ブチギレてしまう回数が激変しただけでも、生きやすさがまるで違う。
それにしても、なぜ私は、これほどの鉄欠乏性貧血に陥ってしまったのだろうか。
思い当たるのは2つある。ひとつは月経過多。そしてもうひとつは、スポーツジムに通って半年で10キロ体重原料し、その後、リバウンドで体重が戻ったこと。減量時は食事制限はせずにしっかり食べ、タンパク質とビタミンの摂取には最新の注意を払っていた。しかし、「鉄分」の摂取だけは完全に盲点になっていた。体重が落ちるときに、消えるのは脂肪だけではない。
運動による発汗や値者の中で、水分とともに大切な鉄分も失われてしまったのだろう。そのころのフェリチンの数値は「8」。当時の私の身体は、文字通り血がスカスカ状態だったのかもしれない。知れば知るほど、女性の身体を健やかに保つのは難しい。けれど原因と対策が分かるプロセスは面白いし、こうして分析したことを書き記すのは楽しい。
あなた、お腹に何かいるよ!?
転機は、鉄剤を服用し始めて1か月がたった、経過報告の日に訪れた。
劇的な身体の変化に喜びと感謝を伝えていた私に、主治医はやさしく、でも真剣な顔でこう言った。
「生理が30日以上の遅い周期なら、放っておいちゃダメよ」
「でも、どうしても婦人科が苦手で……」
「もう仕方ないな~。じゃあ試しに、お腹の上から触診させてね」
すべての医師が主治医のように優しく親身だったらいいのに、と思う。
素直に、お腹を触ってもらった瞬間、先生が「えっ」と、ほとんど悲鳴に近い声を上げた。今度は私が驚く。
「大丈夫?これ、卵巣腫れてない?かたい……え、これ何、あなたお腹に何かいるよ!?」
女性の誰もが耳にしたことのある有名な婦人病の名前が出ても、当時の私はどこか他人事のように聞いていた。そうか、まあ、そうかもしれないな。手術になるのかな、めんどくさいなあ。皆を悲しませるの、嫌だなあ、そんなことを考えながら、目の前で慌てふためく主治医をどこかぼんやりと眺めていた。先生はすぐさま、その場で転院先を検索し始めてくれた。「婦人科は赤ちゃんを作る方ばっかりで、病気を治す方が全然ないのよね。この先生はどう?優しそうな先生よ」と、かなり親身になって調べてくれた。一歩の私は、これから起こるであろう未来からの現実逃避で頭がいっぱいだった。信じたくない。今回の診断、一度無かったことにならないだろうか?そんな都合のいい逃げ道を必死で探していた。「いい?ちゃんと予約するのよ。結果が分かったら教えてね。絶対よ」すべての医師が、この主治医のように優しく親身だったらいいのに、と思う。
私にとって、婦人科や大学病院には、嫌な思い出しかない。だからこそ、今まで不調も見て見ぬふりをして、我慢を重ねてきた。「怖い」「痛い」「屈辱」。そんな感情がたくさん詰まっているあの場所に。私はまた戻らなければならなくなってしまった
第2章
「17cm」
[2021年のエッセイより]
女はグロテスク
ふ、と気づいたこと
女はグロテスクだ、という事
あ、なんか腑に落ちた言葉だ
少し書く
女子校や女子グループ歴が長くて
女の世界に塗れてて
気づかなかったけど
本来、女性は結構
グロテスクなのかもしれない
ホルモンバランスで
しょっちゅう情緒不安定だし
言いたいこと言うし
逆に言いたいこと言えないのに
気持ちを察して欲しいって皆思ってるし
可愛く笑ってるけど
腹の底では別の感情が湧いていて
しかも自分で
エネルギーのコントロール出来ない
流行り廃りは激しいし
占いやら
スピリチュアルやら
不確かな怪しいものが好き
可愛くないものまで
可愛いって言ってしまうし
仲間やテリトリーにはうるさい
女はとってもグロテスクだ
女はとってもグロテスク
女はグロテスク、だからこそ
女は美しい
そう、女は美しい
表情がコロコロ変わるから
見ていて飽きないし
飾り気の無い言葉に
ハッとするし
本音が言えない姿は
どこかミステリアスな奥ゆかしさがある
新しい今まで選択肢なかった世界に
連れて行ってくれる
大事なのは物質だけではなく
目に見えない人間のチカラを信じること
それは自分の限界の先を教えてくれる
女は
グロテスクで、美しい
女は悪魔のような、女神のような
相反するエネルギーがある生き物
それが、女
私は、
そんなグロテスクで美しい
たった1人の女
私は女
神様に祈らない、すべてを受け入れる生き方
生まれて初めて、予約した映画のチケットを無駄にした。コツコツとポイントを貯めて、ようやく引き換えて、観たくてたまらなかった映画のチケット。普段の私なら何が何でも手放さない努力をしたけれど、それを捨てても良いと思えるほど、そのときの私は深刻な心理状態だった。経験上、ここで無理をして外に出ると、反動で躁転してしまう危険がある。だから大好きな映画を観に行くのは諦めて、ひたすら泣いて寝て、また泣くための日にすることにした。ただの貧血だと思っていたら、まさか手術が必要な病気が潜んでいる。怖くて、家族にも、友達にも、誰にも言えなかった。ほんの一昨日まで、調子よくブログを大量に書き溜めていた。あの元気な自分の姿が眩しすぎて、吐き気すらする。バカバカしい、何のためにこれまで頑張ってきたんだろう。虚しさが押し寄せる。けれど泣くことでしか流せない絶望だってあるはず。私の大切な家族である、うさぎの「弟兎くん」の小さな、フワフワの背中を借りてメソメソ泣いていたら、彼にものすごく嫌そうな顔をされた。すまんて、と心の中で謝る。自分の身体の中に正体不明の病気への恐怖。毎日「どうか、何事もありませんように」と都合のいい神様に祈りながら生きている。ふと弟兎くんを見やると、立ち上がって毛づくろいを始めた。せっせっと、フワフワな手でフワフワの顔をもみ込んでいる。そして最後に両手を合わせて、手の毛づくろいをする姿を見て、ハッとした。まるで何かに祈っているポーズだ、でもうさぎは祈ったりしない。つまり彼の世界には「神様」は存在しない。もしかして人間だけが持つ最大の特徴とは「神に祈る」ということなのかもしれない。っと。
彼の世界に登場する者は、私たち家族と、たまに見かけるそれ以外の人間、ただそれだけ。日常は決まった時間にご飯を食べて、家族と過ごし、あとは眠るだけ。その変わらない毎日が彼にとって確かな安心なのだ。しかしたまに非日常があって、例えば雨が降れば「今日は雨なんだね」と受け入れ、お薬を塗る時は「いやー!やめてー!」と全力で嫌がる。そこには「どうか雨がいますぐに上がりますように」とか「明日は薬を塗られませんように」といった、未来への『祈り』は存在しない。かつてうさぎの彼が死にかけたあの壮絶な手術と入院のときでさえ、必死に抗いながらも、その運命を淡々と受け止めていたに違いない。私はどうだろうか。これから訪れる現実に、彼のようにただ静かに、受け入れていくことが出来るだろうか。
悲観は気分であり、楽観は意志である
婦人科の予約日が来るまで、自分の些細な日常を守ることだけに集中しようと決めた。日本画の絵具を練る動画を撮ってYouTubeに載せたり、丁寧にホットケーキを焼いてみたり、オンラインで勉強塾を定期開催したり、近所のバナナの木を見に行ったり、友達とテレビ電話したり、自分の気持ちを内観して書く練習をしたり。これが私なりの「祈らない生き方」だ。
そもそも、私が何故、時代遅れのブログを毎日書き続けているのか。それは「まだ見ぬファンとの交流」だ。私は「ファンに選ばれて私のブログを読まれている」なんて思っていない。むしろ「私がファンを選んで読んでもらっている」と独特なスタンスで書いている。人が平日に読めるブログの数なんてせいぜい1、2件なのに対し、当時は最低1日5件、一番多い時は3時間で20件以上、スマホで書いていた。客観的に見ても異常である。さすがに自覚はある。だからこそ「文章に胃もたれしたら遠慮なくフォロー外してね」とあらかじめ公言しているのだ。
というのも、かつて私がブログで本性丸出しにして書くようになった途端、SNSで友人たちから一斉にブロックされまくった過去がある。本性といっても、そんな凶悪なものではない。ただのリアルな悩み、恋愛や嫌いなことといった、ごく些細な日常だ。落ち込んだのも束の間、実をいうと、誰が消えたのかさえ把握できないレベルの「ただの知人」ばかりだったこと気づいた。彼らが去ったあとに残ったのは、変わらずに読み、会い、応援し続けてくれる人たちだった。中には10年毎日欠かさず読んでくれる人はいれば、過去のブログの一部を遡って7000回も「イイネ」を叩き込んでくれる猛者までいる。つまり、ブロックされた数を引き算したら、純度100%の本当のファンしか残らなかったのだ。幸か不幸か、強烈な成功体験があるからこそ、今私には確信がある。わざわざ大切な時間を使って、こんな辺境にあるブログに辿り着いて熱心に読んでくれる人は、紛れもなく「良い人」であり、私が好きな人。そして、良い人は心が広いから、どんな「ダメな私」も許してくれるはずだ。だったら、敬語に使うカロリーと時間は勿体ない。そんな自己中心的な、最高にオメデタイ思考のもと、私は言葉を紡いできた。私にとってブログを書くことは、まだ見ぬファンとの信頼関係の構築の大切なファンサービスの1つなのだ。実際に、私が通っていた起業塾の後輩たちには「本当は同期になるはずだったのに、タイミングが合わなくて半年間ずっと毎日読んでたよ。ファンしか読まないから大丈夫」「ファンは胃もたれを感じてない」「おやすみ、って書いたあとに深夜になってまた更新されていて、最高だと思いました」ほら見ろ、私のファンは最高だ。やっぱりファンは世界のどこかにいるのだ。
自信とは、自分の中にある惜しみない愛に気づくこと
自信は目に見えるものではないし、「この条件が揃えば手に入る」という明確なゴールもない。私たちはつい、勉強や仕事、メイクやダイエット、あるいは高い服や車といった外側の条件で、見たこともない自信を満たそうとしてしまう。けれど、そうやって手に入れた高揚感は長続きしない。
逆に、赤ちゃんを見てみる。彼らはアパート住まいを悲しまないし、自家用車が中古でも気にしない。自分の体がふくふくに肉付きがよくなっても、自己嫌悪に陥ったりもしない。ただ、オムツが心地よいか、お母さんの声が聞こえるか、今この瞬間が安心か、それだけで満たされている。
2週間、自分の心と身体をじっくりと内観していて気づいた。自信とは、外側の条件を揃えることではなく、自分の中にある「惜しみない愛」に気づくことだ。人から貰う言葉も大事だけれど、私たちはすでに、それを受け取っている。ホットケーキの焼ける匂い、バナナの木の生命力、うさぎの背中の温もり。何気ない日常の中に溢れかえっている愛に気づけるのは、いつだって自分自身なのだ。
人の原動力は心
1年遅れで開催した、東京パラリンピックが閉幕した。興奮の余韻の中で、私の心に最も強く残ったのは、ある新鮮な驚きだった。
「あ、私と変わらない人たちなんだ」
開会式を迎えるまで、私は彼らのことを「特別で、自分とは違う存在」だと思い込んでいたのかもしれない。大会前のテレビCMでは、選手の四肢の欠損や傷口にクローズアップしたものが多く、目を背けてはいけないと思いつつも、見るたびにどこかドキリとしていた。しかし、画面に映し出された入場行進の姿は違った。嬉しそうに笑顔を弾けさせる選手、仲間と肩を組みながら心躍らせる選手。そこには、私と何も変わらない姿があった。思い返せば、学生時代のクラスメイトにも、彼らは存在していた。例えば、私が明日にでも事故や病気で障害者と呼ばれる側になることだって普通に起こり得る。誰かが言うような、神様の試練などではなく、それは日常の地続きにある現実なのだ。私たちはこれまで、特別というフィルターをかけることで、すぐ傍にある日常を見逃していたのかもしれない。そんな気づきと共に、もう一つ私の心を捉えたのは、パラリンピックにおける高齢アスリートたちの躍動だった。
30代になり、オリンピックを観て「みんな私より年下だ」と少しセンチメンタルになっていた。7歳でベランダから眺めたアトランタ五輪、10代の多感な時期に選手の言葉を「偽善」と突っぱねて親に叱られた記憶、20代の観戦時は私自身うつ病の最中に覚えた焦燥感。年齢を重ねるごとに、五輪選手への羨望は純粋な尊敬へと変わっていった。
だが、パラリンピックの景色はまた違っていた。車いす陸上の上与那原選手は50歳、マラソンの藤井選手は56歳、西島選手は66歳。「最年少記録は努力で更新できないけれど、最高齢記録なら更新できるから」と笑顔でインタビューに答える金メダリストの姿に、私は強烈な衝撃を受けた。
血の滲むような努力や周囲のサポートがあるのは大前提だ。しかし、それ以上に「まだ挑戦したい」と突き進む彼らの姿を見て、ハッとさせられた。物事を「できない、やらない」と諦める最後の決定打を下しているのは、いつだって環境ではなく、自分自身なのだ。特別だと思っていたものは、案外すぐ隣の日常にあった。そして年齢もまた、挑戦を諦める理由にはならない。私の未来を動かす原動力は、誰かが与えてくれるものではなく、自分自身の中にある。
17センチ
婦人科の来院の日がきた。行く前からすでに疲れてる。不安で始終、気持ちが悪い。院内は混んでいて予約しても案内するまで時間がかかるようだった。モニターに映し出された映像をぼんやりと眺めた「貧血は心臓に負担がかかる。鉄分がないと赤血球が運べなくなるから心臓のポンプが頑張るしかなくなるため負担がかかり、感染症にかかりやすくなる」ふむ、そういえば心当たりがある。たまにチクチクする。「1週間の生理の総出血量は140ml、ヤクルトに例えると2本分まで。それ以上の出血は月経過多、出産による失血は100ml」絶句した。私は3時間でヤクルト2本は出血している。本当に気分が悪くなってきた。逃げ出したい。でもここで治療をすれば長年の体調不良の原因が分かるし快方に向かうはず。ついに案内された。早く帰宅して「全然、大丈夫でした、ご心配おかけしました」って書いて終わりにしたい。先生は品の良さそうな優しい人で、診察室間を走って移動するためか足元はスニーカーだった。軽い問診のあとに「卵巣が腫れていること、月経過多であること」を伝えた。「たしかにお腹が固いわね、エコーしてみましょう」と。
腹部にエコーを当てた瞬間、先生が叫んだ。「いつからだ!いつから気づいていた……!!」その声に驚いた。「2~3か月前です」嘘だ、たった今知った。エコーを当てる器具が下腹部からどんどん上半身にせりあがっていく。グリグリ押される痛みに怯みながら、ついに、へそ上まで来た。ぎょっとする。そんな上までいるの……?「10センチ、いや15センチ……これ1つじゃないよ。どうしてこんなになるまで放っておいたの?」「ごめんなさい」咄嗟に謝った。でも自覚が全くなかった。「MRIしましょう。今日の予約は……さすがに17時いってるから難しいか、○○に電話して!」複数の看護師さんが走ったり、電話したり、私の腹部を洗浄してくれる。なにこれ戦場みたい。今から私のオペでも始まるんだろうか。「私、どうなっちゃうんですか?」「お腹の中にあるものを詳しく見るためにMRIに撮る必要があるの。ごめんね、うちにMRIがなくって」その腫瘍は、レントゲンでは見れないんだろうか?
翌日、MRIの予約が取れたので来院した。昔のFAXやインターネットの回線を繋ぐときの音のような騒音の中、腹部を撮影された。オルゴールの曲が流れてたけどヘッドホンの意味が全然なくて笑った。「異常があればすぐにお電話しますね」と言われた。ということはまだ婦人科ではなく便秘の可能性もあるのだろうか。昨日からずっとヘラヘラしている。自分の感情の裏にとんでもない鬱が佇んでいて、それに気づかないように必死にヘラヘラしていた。
ナーバスな状態にさらに追い打ちがかかる。生理がやってきた。一晩で100mlは出血している。明らかに失血しすぎている。何も打つ手がない。寝て回復を待つしかない。禰󠄀豆子みたいに。生きてて偉い。
MRIの撮影から10日後の来院。今日も何時間か待つかと思ったら着いてすぐに診察室に通された。すぐに自分がヤバいことを知った。
「17センチの子宮筋腫です。それが2,3個あります。」
腹部の写真を見て震えた。胎児のサイズの腫瘍が腹部を圧迫していた。今まで自分の歯や骨のレントゲンを見て「綺麗な形だな」とは思えたけど、さすがに腫瘍は無理だった。こんなサイズになるまで気づかなかった自分の愚鈍さにも驚いた。当初、内科の主治医に言われた卵巣については多嚢胞性卵巣症候群もあった。可愛らしいと思うくらいのサイズだった。
「はは、この腫瘍、赤ちゃんみたいですね」「胎児の頭部くらいはあるわね。妊娠4~5か月くらいの大きさね。手術すると、将来的に膣からの出産は難しく妊娠したら帝王切開になります」と言う言葉にもショックを受けた。産み方にこだわったことなかったけど、カイザー痛そうだなと思っているところに、「この大きさ、子宮全摘手術並みよ。」言葉を失った。一体何が私に起きているんだろうか。
前回、恐ろしい形相だった先生がめちゃくちゃ優しくなって私に色々と説明してくれる。自分の体が悪いことを察した。先生が前回、怒鳴っていたのはきっと「これほどのものを抱えながら一人で耐えてきた」衝撃と危機感と緊急性だったのだと察した。優しい先生だ。私は先生には恵まれている。
「もう少し小さかったら投薬で様子を見るんだけど、5センチ超えてしまうと手術がいい。とは言え……」先生が言葉を濁す。気づいたら泣いていた。混乱していた。どこかで私にはこんな怖いことは一生起きないだろうって高を括っていた。現実が受け止められなかった。
「手術できる病院に紹介状書いてあげる。ここは名医で日本で唯一、フククウキョウ手術でやってくれるよ。」フククウキョウってなんですか。「手術には開腹と腹腔鏡とあってね、切る範囲が違うの。大きい腫瘍だと開腹が多い、そして術跡が大きい。腹腔鏡は小さな穴をいくつか作ってそこから摘出するから傷は小さいの。ただ手術が難しい。大丈夫よ。皆、手術して元気になってるから」新しい転院先の連絡先と子宮筋腫のパンフレットを貰う。
帰りに街路樹に大きなカリンがなっているのを見かけた。手を伸ばして大きさを見る。信じられるかよ、お前より大きな腫瘍がお腹の中に2つも3つもあるんだって。こんな恐ろしいこと誰にも言えない。こわい。誰か、助けて欲しい。花壇にうなだれてひとり静かに泣いた。
第3章
「言えると癒える。言えた先に見えたもの」
女性は、生まれる前に光る
友達や家族にも話したくても話せていなかった。全容が見えていないから説明できずお互いにストレスになるから。両親とは特に「これからどうするんだ」と言ってくる可能性が高かった。どうして治らない病気になるのかなぁ?って考える。夜中に無心で病気について調べている。同じ病気をしている人のレポート漫画やブログを見つけては読み込み、病気を患った罪悪感で寝不足になる毎日だった。20代のときに患った、うつ病も今回の子宮筋腫も「完治」はなく、体質的にできやすいので、投薬をして一生をかけて付き合っていくもの。完治ではなく寛解。治らないならば、それは体の「癖」みたいなものなのかもしれない。カウンセリングを学んだ際にある考え方に出会った。「人生で似た悩みに何度も直面するとき、それは自分の中で向き合わないといけない問題、つまり本音と向き合うことなのだ。そしてその本音に自分で気づき受け入れることが出来れば、悩みの渦に振り回されることが無くなり、解決に向かう」というものだ。病も同じだろうか。トラウマと一緒で、何か私の中で気付かなければいけない問題と向き合えば、終わるのだろうか。
『女性は、生まれる前に光る』。これは、受精卵が誕生した際に、受精卵の表面にカルシウムの波が立ち、顕微鏡のもとで光り輝いてみえる現象のことだ。「女性は生まれながらに輝いていることを忘れないでね」という言葉とその映像を目にした体験は、私の画家人生に計り知れない影響を与えた。女性である私は、光を持っているという自負。その光を使って人生を切り開いてきた。うだうだとふさぎ込んでいたが、結局、私に出来ることは「書くこと」だけなのかもしれない。自分が病気であることを講評する怖さは、まさに生き恥をさらす、くらい勇気のいることだった。しかし、もしも友人が同じように病気であることが恥だったと思い込んでいたら、どうだろうか。生き恥なんてとんでもない。病気に堪えて生きているだけで、十分にかっこいいよ。予約して一人で病院行ったことがすごいし、怖かったね、よく頑張ったね」と寄り添う。このように自分事だと、謎の自責の念に駆られてしまう。私は自分が病気を失敗として扱っていた。ケチだ。自分の人生なのだから失敗くらいさせてやればいいのに。「生き恥をさらしていこう」と思い立ち、ここ数か月の体調不良についてのことを箇条書きにしたら、全部で15ページになった。まだ病気発覚時点でこの状態ならば、一体、何ページの大作になるのだろうか。毎日、先行きが見えなくて怖くて怖くて堪らない。でも出来るか分からないけど自分を奮い立たせて、何かしらやってみようかな。
初めての閉経
入院先の病院で迎えた、初診の日。これまでで一番緊張しながら入った診察室で、優しい主治医の先生が私を迎えてくれた。「よくここまで、一人で頑張りましたね」その言葉だけで救われるような気がした。手術への不安はもちろんあった。けれど、私を万年貧血に陥れているこの腫瘍を摘出しないことには、これから先、健康的に暮らしていくことなんてできない。「すぐにでも手術したいです」そう申し出たものの、提示された最短のスケジュールは年明けの1月だった。先生の壁掛けのカレンダーは、あと2か月もページがあるのにも関わらず、すでにびっしりと手術の予定で埋まっていた。
さらに、私にはもう一つハードルがあった。私が希望していた、腹部に小さな穴を開け、腫瘍をりんごの皮剥きのように細断して摘出する、「腹腔鏡(ふくくうきょう)下手術」だった。しかし、17cmという私の筋腫のサイズでは、そのまま腹腔鏡で摘出するのは難しいという。本来なら開腹手術を推奨している。なのでまずは、手術までに、投薬治療で筋腫を小さくする必要があった。ちなみに、薬を飲み続ければ筋腫が無くなるものではないらしい。子宮筋腫が大きくなる原因には、「エストロゲン」という女性ホルモンが深く関係している。このホルモンは、肌のツヤを良くしてくれるなど体にとって良い作用もあるのだが、分泌が多すぎると今回のように筋腫の成長を促してしまう。では、「エストロゲン」を止めるにはどうすればいいのか。答えは、生理を止めること。すなわち、人工的に閉経させるのだ。生理という筋腫にとって栄養源である「血液」の配給を止める。そうして栄養不足に陥らせることで、筋腫が小さくしていく。もちろん、薬の服用を止めれば生理は再開する。そして、この治療に伴う副作用は、ずばり「更年期障害」だった。
「更年期ですね!これから寒くなりますし、ホットフラッシュも頑張って乗り切ります。」と、かなり安易な返答をすると、主治医はとても思慮深い面持ちで、手元にある私のカルテを見つめながら、静かにいった。「更年期になるとね、うつ傾向が強くなるのよ。できたらそれは避けたいのよね」と。あ、そっちか――。「寛解から10年経ってます。カウンセリングや心の勉強をしてきました。私、頑張れます!」そう宣言した。
公表
初診を終えた帰り道、私は数ヶ月ぶりにホッとしていた。すべてが決まった。やっと皆に、私の状況を話せる。そんな安堵感が込み上げていた。
一般的に10cmから巨大と言われ、手術を推奨される子宮筋腫。私の場合は、17cmと14cmとかなりの巨大サイズが多発している状態だった。あと数cm大きくて発見が遅れていたら、子宮全摘になっていた可能性もあったという。本当に恐ろしかった。また、今回のことで何よりも驚いたのは、アレルギーの通院で偶然見つかるまで、一切自覚症状がなかったこと。「年明けに手術するから応援してほしい」そうブログを投稿するとき、心臓がとてもドキドキした。このドキドキは、子供の頃に自身がついた嘘やイタズラがバレるときにどこか似ていた。
実は、この記事を二週間寝かせていた。「もうこのまま放置してしまおうか」すべてが終わってから「今日、退院しました」との事後報告でもいいかな。とも思った。それでも今回、公表に踏み切った理由は、様々な子宮筋腫の闘病記を読み込んだときに感じた、物足りなさ感だった。現在進行形でリアルに発信している人は、なかなかいなかった。それに、私が一番知りたかった、感情面のリアルさを書いている人には、1人も出会えなかった。病状や手術の流れは分かっても、「怖かった」「孤独だった」といった心の動きまでは、なかなか見つけられなかった。女性特有のデリケートな病気だし書きづらい話だから仕方ない。しかし当時は、コロナ禍の真っ只中。入院生活において家族との面会すら禁止されていた。「どうやって一人で入院と手術を乗り越えていけばいいのだろうか」「心身共にどう変化していくのか。」知りたくてたまらなかった。そしてきっと、同じ病気を抱える誰かも、同じように知りたがっているはずだ。「それならば、まずは先に私から、その情報を差し出そう」
生き恥をさらすことになるけど、病気になった私を責める人はいない。そうやって何度も内観し、セルフカウンセリングを重ね、自分の中の恐怖のイメージを書き換えていった。いざ公表してみると、直後から多くの反響をもらった。そして、同じ病気の人が沢山いたことを知った。それぞれに大変な思いを抱えていたのだ。勇気を出さなければ、決して見えてこない世界だった。病気という試練が、私に勇気を出すチャンスをくれたのだ。
アンケート爆誕
公表してから私のブログのアクセス数がすごい数字になった。心配かけてしまった数だ、ごめんよー!!反応はそれだけに留まらず、多くのコメントやメッセージを頂戴した。その中に婦人科系闘病に関する体験談を数多く教えてもらった。めっちゃ嬉しい。勇気を出して公表して本当に良かった。心のうちに秘密を閉まっているとき、苦しくて堪らない。しかし、言えると癒える、のだ。
それにしても、まさかこんなに潜在的に婦人科闘病をしている友達がいたことを全く知らなかった。自分の過去の病気のことを他人に言う機会はないもんな。病気だったことを隠したい、というより単純に人にシェアする機会がなくて、困ってるなら手を差し伸べたい人がたくさんいるのかもしれない。
そうだ、それなら!とひらめいた。匿名で答えられる「子宮筋腫に関する」アンケート企画をやってみよう!「知らないから怖い」なら「知ってるから伝えられることがある」を探せばいい。それを形にすればいいんだ。皆で知ろう!皆で乗り越えよう!
概要はこうだ。
●子宮筋腫の経験者さん向けのアンケート
●メールアドレスの登録などもなく、匿名無料で参加可能。
●アンケートは最終的に私のブログにて結果を集計して公表
●私の子宮筋腫レポ漫画にも収録しますが、その部分は無料公開をします。(非営利にします)
●友達や家族から聞いた話もOKです
●覚えている範囲で良いので書いてくれると、めっちゃ嬉しいです。
せっかく私も子宮筋腫になったのだし色んなことを知りたい。そして最終目標としてこれから子宮筋腫になった時の人に向けてこの知識というバトンを渡せたら私的には万々歳。不安には体験談という知識で乗り越えられるから色んな人からデータを取りたい。企画したらメラメラと心が燃えてきた。頭の中にデザインが浮かぶ。大きく膨らんだお腹を優しく包み込む画像、これだ!
アンケートの反響
アンケートの反響はすさまじかった。一晩で7人も回答してくれた。たしかにアンケートを開始した際に、メッセージをくれた私の2,3人の子宮筋腫の手術をした友達に回答依頼をした。きっと私の読者や闘病を秘密してた人が回答してくれたのだ。有難い限りである。調べると女性の4人に1人は子宮筋腫になるくらい一般的な婦人病らしい。
次に嬉しかったのは、私の知り合い、友達たちが次々に私のアンケートをシェアしてくれたこと。私の予想をはるかに超えた事態だった。そもそも私はフォロワー数数万人のインフルエンサーではない。ただの引き籠りの日本画家だ。なので爆発的な影響力はない。
アンケートを読んでいて気づいたことが3つある。まずは病気の面では、子宮筋腫だと気づくのは大体30歳を過ぎたあたりが一番多く、「「30代で見つかった筋腫が大きくなったため40代で手術した」っていう心の準備は出来てたものが、ほとんどだった。私のように『初診、33歳、17センチ、複数発見、即刻手術予約』、という人が少ない。いくら命に別状はない病気だからと言って
病気への知識、手術、入院への覚悟、お金、治療費の準備闘病への心づもり、術前、術後のライフプランなど、何も分からない状態ってすごいキツイ。体験者の会や自助グループを探したこともあった。しかしコロナ禍も相まってそこに通う一歩が重い。気軽に読めるブログでまとめて読めたら万々歳よね。私は「情報」を使って楽しい世界を拡大したい。なにより自分が落ち込んでる時の物事の認識する解像度の粗さは異常だからね。
もう1つ気づいたこと、これは私の内面の話。私がアンケートで本当に欲しかったものは知識だけではなかったこと。「知識」の裏側にあった、ということ。何も分からないって怖い。正しい知識がないって心細い。でも、ちゃんと乗り越えてきた人は居る。アンケートを作る前に何人もの人が言っていた。
「困ったことがあったら言ってね」
「なんでも聞いてね」すごい有難かった。しかし私の持ち前の人見知りのせいで
どうアクションして良いか分からなかった。
「どんな風に大変だった?」
「お金は?買ったものは?」
「どれくらい入院した?」とか、普通に聞けばいい。しかしながら「子宮筋腫」も「入院」も「手術」も未知の世界過ぎて「分からないものが分からない」何を聞けば、良いかもわからなかった。毎週話している、手術経験者のみきゆきに「アンケートで何を聞けばいいかな?」って聞いて設問を用意したくらいだ。
そして最後に気づいたこと。予想以上に多くの人に応援と集まって来たデータを読んでいて気づいた。ああ、私は「データ」を通して「温もり」を感じたかったことを。送られてきたアンケートには、温もりがある。このアンケートに導いてくれた人達の「温もり」アンケートに答えてくれて人達の「温もり」私は「データ」を集めようと思ってたけど、集まってきたのは「温もり」皆それぞれの痛み、苦しみ、驚きがあって。でも、乗り越えた今だから伝えられる。「大丈夫だよ、手術したら安心だよ」という思い。すごく温かい。泣いちゃうくらい、温かい。私が本当に欲しかったものは「知識」の裏側にあった。この「温もり」だった。
少し余談になるが、生命判断士でもある、友達のまさこちゃんが「自身の名前に「子」がつく人は、形のないところから心を込めて形あるものを生み出す、現実化することができる。優子さんもそうね」と教えてくれたことがある。光栄な話だなあと、いたく感動したことを覚えている。
私は何かを作る時、描いたりまたは書くときに、「輪郭線を引いてあげる」とイメージのもと創作をしている。言葉、絵、心、温度、思いは、目に見えないものには実は最初から、形がある。観察して書く行動を重ねることによって見えないものの形を見つけていく。輪郭線を引いてあげる。その作業を私は「アート」と定義している。
それは人によって表現が変わっていくもの。群盲象という考え方がそれと同じかもしれない。(多くの盲人が象を撫でて自分の手で触れた部分だけで象の見た目を意見をすることから)
同じ病気をしてても人によって感じ方が違う。だから私は思いを言語化することを諦めないで放棄してはいけないと思ってる。上手く書けない日もある。アンケートも私がまとめなくても各個人の体験という貴重なエッセンスは存在してた。それらが沢山集めたらすごいものが見れるかもしれないと想像したら、気づいたら動いていた。アンケートに回答してくれた人、拡散してくれた人は見ず知らずの女性のために「大丈夫」を言ってあげられる愛がある素晴らしい人だった。
私はこれから闘病記を赤裸々に書く。「突然、子宮筋腫が見つかって急遽を手術が決まってハラハラドキドキ記」を書く。4人に1人はこの病になるならば、読者を全員女性だと仮定すると、およそ80人がそういう計算になる。おいおいおい。そんなのってアリかよ。これってどれくらいの人が私と同じように気付いてなかったりするのだろうか。やだな、病気になることは不幸じゃないけど、やだ。私は、ファンには幸せで居て欲しいんだよー!
きっと同じように心細い人がいるから。「知らなくて怖い」から知る機会を作るために発信をする。日本画、デザイン、写真作品と一緒のように、女性の笑顔の為にやれることはやっていく。絶対に私と同じような悲しい思いにはさせない。一人にはさせない。任せろ!
アンケートは開始から2日目、回答者は当初の目標の10人を突破した。