芸術の大衆化とオーブリー・ビアズリー ― 展覧会「異端の奇才―ビアズリー」からの考察 ―

  • 芸術理論・西洋美術史ゼミ

涼子

一般公開

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本稿は、三菱一号館美術館で開催された展覧会「異端の奇才―ビアズリー」を受けて、19世紀末における芸術の大衆化の潮流と、オーブリー・ビアズリーの役割について考察するものである。アーツ・アンド・クラフツ運動を代表するウィリアム・モリスやエドワード・バーン=ジョーンズらと照らし合わせながら、機械化と量産による芸術表現の変容とその受容のあり方を歴史的視座から考察したものである。

1. はじめに

2025年、三菱一号館美術館にて開催された展覧会「異端の奇才―ビアズリー」は、オーブリー・ビアズリーの短くも濃密な生涯を軸に、220点に及ぶ作品群を展示する大規模な回顧展であった。展示の中盤には18禁指定のコーナーも設けられ、挑発的なビアズリー作品の一端が垣間見れた。

筆者は、2016年に石川県立美術館で開催された「ビアズリーと日本展」において、ビアズリーに出会って以来その作品に魅了されてきた。前回の展示は、ビアズリー作品に見られるジャポニスムに焦点を当て、日本美術との関係性を独自に読み解く内容であったが、今回の展示では、むしろ彼の作品の根底にある社会的・経済的条件、すなわち19世紀末の芸術環境に目を向けることで、新たな視点を得ることができた。

本稿では、本展の観覧を契機として、19世紀後半に始まる芸術の大衆化という大きな潮流におけるビアズリーの位置づけについて、ウィリアム・モリスやエドワード・バーン=ジョーンズらの活動と照らし合わせながら考察する。

2. 芸術の大衆化とアーツ・アンド・クラフツ運動

19世紀後半、産業革命の進行により、イギリス社会は工業化が進み、家具や工芸品といった生活用品も機械による大量生産が可能となった。その結果、市場には粗悪な製品が増え、伝統的な手工業の職人たちは職を失う危機に直面した。このような背景のもと、ウィリアム・モリスらによって提唱されたアーツ・アンド・クラフツ運動は、生活の中にあるべき美を取り戻すことを目指し、工芸と芸術の融合を試みたものである。

モリスは、生活のあらゆる場面に美を取り入れるべく、家具、壁面装飾、刺繍、手稿本などの制作に携わり、特に書物に関しては、装丁、字体、挿絵といった視覚的要素を重視した。手作業による精緻な装飾は、生活空間における芸術の役割を再定義するものであったが、その高い芸術性を担保するために価格が高くなり、必ずしも一般大衆が手にできるものにはなり得なかった。

3. ビアズリーの登場と「アーサー王の死」

ビアズリーが画家として登場する以前、古美術研究家のエイマー・ヴァランスは彼をモリス商会の挿絵画家として推薦していた。しかし、ビアズリーの作品が版画という複製性を持っていたことから、アーツ・アンド・クラフツの理念に合致しないとされ、起用には至らなかったという経緯がある。その後、バーン=ジョーンズを挿絵画家に迎えモリスは書籍「アーサー王の死」を出版し成功を収めたが、豪奢な装丁ゆえに、ここでも価格を抑えることができなかった。これを受けてデント社は、より安価な同書の出版を目指し、ビアズリーを挿絵画家として起用した。これにより、ビアズリーは一躍その名を知られることとなった。

4. 異端の奇才とアカデミズムからの逸脱

本展覧会でも紹介されていたように、ビアズリーは19歳の頃、姉とともにバーン=ジョーンズの家を訪ね、その才能を認められたとされる。経済的事情から正規の美術教育を受けることができなかったビアズリーに対し、バーン=ジョーンズはアカデミアで学ぶことを示唆する。それを受けてビアズリーは短期間であるが夜間学校で美術を学んだ。しかしながらその後はアカデミズムに属することなく、独自のキャリアを築いていった。これが「異端の奇才」と呼ばれる所以であろう。彼の作風は、しばしばアカデミズムからの非難を浴びながらも、イエローブックやサヴォイといった前衛的雑誌の挿絵や編集を通じて、当時の芸術潮流の中で異質な存在感を示した。

5. 考察

ビアズリーの功績の一つは、モリスやバーン=ジョーンズが創り出した崇高な芸術世界を、大衆の手に届くかたちで再提示した点にある。彼の挿絵は、複製技術によって大量に流通し、後の「挿絵の黄金時代」や商業ポスター文化の萌芽を形成することとなる。筆者はこれを芸術と大衆の関係性が変化した転換期にあたる重要な出来事であると捉えている。

産業革命以降の工業化の流れの中で、消費者は自らの選択として「芸術の大衆化」を望んできた。それに応じて芸術家もまた、その在り方を変化させてきた。モリスのように理想主義的に抗う姿勢をとる者がいる一方で、ビアズリーのように大量複製を前提とした新たな表現を切り拓く者もいた。

ビアズリーの背景には自身の経済的事情が暗い影を落としていることもあるが、このような時代の潮流をつかみ取り、自身の芸術表現の場に変換することで、近代における芸術と大衆の関係性において重要な役割を果たしたと考える。

6. 結論

本稿では、「異端の奇才―ビアズリー」展の鑑賞を経て、ビアズリーの芸術活動を19世紀末の「芸術の大衆化」の文脈で考察した。ビアズリーの活動は、芸術の領域における量産性と大衆性を露わに示したものであり、アーツ・アンド・クラフツ運動と対比するとその特異性がより鮮明になる。

このように芸術の大衆化は単なる質の低下ではなく、芸術の新たな可能性を切り拓く可能性を持っている。今日に至るまで続くデザインやビジュアル文化の展開を考えるうえでも、ビアズリーの果たした役割は決して小さくはないだろう。芸術とは何か、誰のためのものかという問いに対し、ビアズリーの生涯と作品は、ひとつの明確な応答を示している。

参考文献

  • 三菱一号館美術館編『異端の奇才―ビアズリー』2025年
  • 石川県立美術館編『ビアズリーと日本展』2016年
  • 田中正之編『現代アート10講』武蔵野美術大学出版局,2017年
  • 柏木博『デザインの20世紀』NHKブックス,1992年
  • 海野弘『オーブリー・ビアズリー』パイインターナショナル,2013年
  • 河村錠一郎『オーブリー・ビアズリー』河出書房新社,1998年
  • 嘉門安雄『西洋美術史』視覚デザイン研究所,2001年

涼子 スズコ

所属:芸術専攻 芸術学・文化遺産領域

現役研究者。【経歴】経済学士 ▶︎IT企業でSE&ISPマネージャー ▶︎ 造形学士(武蔵美)▶︎ デザイン・芸術系大学講師 ▶︎ 「デザインと共創」に関する博士論文で修士・博士号取得(Jaist) ▶︎ 京都芸術大学修士課程在籍中 ● 人が未来をクリエイトする営みに関心がある ● 好きな言葉はAlan Keyの「The best way to predict the futuer is to invent it」 ● 広島県出身だけど関西弁を話します。