書くことで人生を描いていく
- クリティカル・ライティングゼミ

書くことで人生を描いていく
文芸特論IV_最終提出稿
昨年の10月、10年更新し続けてきたブログの投稿件数が1万件を超えた。これは私の人生にとって大きな転換期になった。
20代の時に、広島の老舗百貨店の美術画廊と縁があり、初めて百貨店の展示会に出展をした。展示会には格があり、町の小さなサロン、老舗の画廊、美術館、そして百貨店の美術画廊と、存命の作家にとって百貨店の美術画廊が一番、格が高い。もちろん、私個人の仕事ではなく、百貨店の美術画廊の文化の発信の一環として、若手チャレンジ枠として展示会が企画されており、「完売作家」である先輩作家たちを含めプロデューサー率いる、「グループ展」だった。私は、初めての地方展示会ということもあり土地勘もなく、クラシカルで気位の高いギャラリーで立ち回りする知見もなく、展示会での私の売り上げ成績は散々だった。
「先生は、東山魁夷が人生で何作品作ったか知っていますか」っと、オーナーに声をかけられた。百貨店の人事は経験を優遇するものではなく、食品売り場のマネージャーが人事異動で寝具売り場に異動したり、また婦人服エリアのマネージャーが美術画廊に異動ということがザラにある業界だけど、この百貨店では美術画廊の立ち位置が高く、エリアマネージャーの他に、特別に美術に精通した人を委託職員のオーナーとして雇用していた。高級そうなスーツをビシッと着こなし、佇まいから気品が溢れ、表情もとても固く、かなり近寄りがたく崇高な雰囲気を醸し出していたが、私は持ち前の若さ特有の空回りと怖いもの知らず、毎日のように話しかけていたら、展示会の最終日間際に初めて話しかけてもらったのだった。ちなみに『先生』とは、展示会をしている作家に対する尊称である。
「何点だろう?1万点くらい?」とアホな回答をする私に心底呆れながら、「1000点です。90年の人生で1000点です。これは単純計算で1年に10点描けば追いつくというものではなく、若くて体力がある時に年間100点は描かないと間に合わない、ということです。特別な才能が足りなかったとしても、作品の数で補うことが出来る、つまりもっと作品を作らなければ【大家(たいか)】になれませんよ」っと。
「大家」、アホな私でも分かる、大物の作家、巨匠のことだ。その会話が、ずっと忘れられなかった。
売り上げ成績がほぼ最下位で散々な結果に終わってしまった初めての地方展示会だったが、私が唯一成果をあげられたことがある、それは地元の新聞社の取材を勝ち取ったことだ。展示会の案内やPR活動も自営業の作家は自ら行わないといけないので、会期前に制作の傍ら、せっせと新聞各社にプレリリースを送付したところ、広島総局の新聞記者の取材協力依頼が来た。その新聞掲載を皮切りにWEBニュースになり、最終的にYahoo!ニュースになったのだ。そのお陰か閑散期の美術画廊には、新聞の切り抜きインタビュー記事を片手に、多くの人が集まり、少しは展示会の役に立てたのだ。私の絵の受けは悪かったけれど、私の「言葉」は人に響き、人に届いた。この自信を得られたことは大きかった。
私は、絵を描く上で重要な作業の1つに、自分の心と頭の中の言葉の渦を言語化することがあった。絵を描くことと同じくらい文章で表現することが好きだった。そのあとも何度も地方、都内の百貨店の美術画廊の展示会の度に、新聞各社にプレリリースを送ると展示会メンバーの中でも私だけは、毎回1社は必ず取材申し込みを貰えた経験から、私の中で少しずつ絵を描くことよりも文章を書くことに向き合う時間が増えていったのだった。
そして、ある日、その時は来た。絵が全く描けなくなってしまったのだ。小さいころからずっと絵を描いてきて、美大を卒業したにもかかわらず、絵を描くことに抵抗感が生まれてしまった。日常的な苦しみをすべて絵で昇華してきたのに、その手段を失くした私は、表現の方法を文章に書くことに移行していくのは、自然なことだった。絵が描けなくなってどれくらい経ったころだっただろうか、ふと、「90年の人生で1000点の作品を作り出す作業を、日本画ではなく、文章で出来ないだろうか」と、思いついてしまったのだ。日本画家なのに絵画ではなくて、文章で「大家」になろうというの?なんだか、それって・・・面白そう!よし、やってみよう!と,2019年から始まった私の挑戦が1つの形が6年越しに「ブログを1万件」という一つの節目を終えた。調子がいい時は1日で20件書いた日もある。1日に何度も投稿されるブログ記事に「毎日、読みに来るのが楽しみ!」、そう言ってくれる人々のお陰で、達成することができた。偉業達成をしたけれど、まだ私の中に「絵描きなのに絵を描かずに文章を書く」罪悪感もあるけれど、毎日確実に積み重ねてきた、この6年の自分を信じ、人生を書くことで描いて、新しく前に進むしかないのである。